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「原発事故当初、私たちはどれだけ放射線量があるかも知らされず、防げたはずの被曝をさせられました。私たちのデータを使って被曝を過小評価する論文を書くなんて許せない」

 

そう話すのは、福島第一原発から北西約50~60キロに位置する福島県伊達市在住の主婦、佐藤千晶さん(仮名・49)。

 

佐藤さんは昨年末、東京大学と福島県立医科大学(以下、県立医大)に対し、伊達市民の個人被曝データに関する論文に、倫理指針違反と、研究不正の疑いがある、と申し立てを行った。その論文は政府の被曝基準の参考資料になっている。著者は、原発事故直後から福島の被曝問題にかかわってきた、東京大学名誉教授の早野龍五氏と福島県立医大講師で、伊達市の市政アドバイザー・宮崎真氏だ。

 

主婦の佐藤さんが、どのように東大名誉教授らの論文の問題点や不正を暴いたのか。その経緯を追った。

 

「そもそも私は、伊達市が原発事故後に行ってきた被曝防護対策に、不信感を持っていました」

 

伊達市は、全村避難となった飯舘村に隣接。市内には、年間被曝線量が20ミリシーベルトを超える怖れのある“特定避難勧奨地点”もあった。仁志田昇司前市長は、原発事故後、線量の高い順にA・B・Cの3エリアに分け、高い順に除染する計画を発表した。

 

「私は、いちばん線量が低いCエリアに住んでいます。時間はかかっても、除染はしてもらえると思っていました」

 

しかし、Cエリアの除染がされることはなかった。仁志田前市長は11年から子供を中心に、ガラスバッジと呼ばれる個人の線量を累積する線量計を配布。12年から1年間は、約6万人の全市民に配布し、個人線量を検証した。

 

「仁志田前市長は、『国が除染の目安とする空間線量率、毎時0.23マイクロシーベルトを超えていても、個人の年間追加被曝線量に関しては、一般人の限度とされる年間1ミリシーベルトを超えない』として、Cエリアの除染を取りやめたんです」

 

佐藤さんによると、そもそもガラスバッジを室内に放置していた人がほとんどだった。

 

「子供はランドセルに入れっぱなしだったし、屋外授業のときは、先生が集めて1カ所に保管していたと聞きました。知人は車の中に吊していました。実際の被曝量より過小評価になるのは当然です」

 

折に触れて、SNSでそのような問題点を指摘してきた佐藤さん。

 

16年の春、佐藤さんに「リタイアした物理学者です。お伝えしたいことがあります」とフェイスブックでお友だち申請があった。高エネルギー加速器研究機構(KEK)の物理学者、黒川眞一名誉教授だった。

 

黒川さんから「早野氏らが書いた論文が出るらしい」という噂を聞いた佐藤さんも、「またデータが利用される」と不安を感じたという。

 

そんな黒川さんと佐藤さんが初めて会ったのは、17年の初めだった。それ以後、佐藤さんは、黒川さんに解説してもらいながら、論文を読み解いていく。

 

佐藤さんは、論文の解析と並行して、市と両研究者がやりとりしたデータをすべて開示するよう、市や県立医大に次々と情報開示請求をかけていった。

 

佐藤さんは入手した資料から、“倫理指針違反”に当たる事例をいくつも発見していく。

 

「通常、こうした論文へのデータ提供に“同意”する人は約5割程度。にもかかわらず伊達市民の個人線量と航空調査による空間線量率との関係を示した第1論文(※1)には、ほぼ全伊達市民のデータが使われていました」(黒川さん)

 

佐藤さんは、黒川さんの指摘を受け、ガラスバッジに同封されていた同意書を思い出し、過去に開示請求しておいた公文書を見直してみた。すると、市と研究者がやりとりした文書の中に、市が宮崎・早野両に渡した住民の個人線量データがあったのだ。

 

「住民の個人情報は黒塗りにされていましたが、同意・不同意の欄があり、これは両研究者とも容易に見られるはずなんです」

 

さらに、除染問題に熱心な高橋一由市議が議会で追及したところ、正式な同意者数が判明した。ガラスバッジを受け取った住民5万8,481万人のうち、同意者が3万1千151人。不同意者が97人、残りの2万7千233人は同意書が未提出。

 

「早野・宮崎両氏は、同意のないデータが含まれていることを知っていながら、無視して使用した可能性があります。論文にデータを使う場合は、医学倫理規範に則って、事前に被験者に対して論文の内容を説明し、同意の有無を確認する必要があります。同意の確認をしなかったり、同意のないデータを使ったりすると、倫理指針違反です」(黒川さん)

 

今回、早野氏らが誤りを認めた生涯の個人線量と除染の効果を検証した第2論文(※2)にも、倫理指針違反は当てはまる。

 

「県立医大から、本研究について承認がおりる約3カ月前の15年9月、早野氏は、伊達市で開かれたICRP(国際放射線防護委員会)のセミナーに参加。すでに伊達市民のデータを用いて講演を行っていました」(佐藤さん)

 

これだけにとどまらない。

 

「両氏は、伊達市民の内部被曝と外部被曝の関係を示す論文を“第3論文”として書く予定だと『研究計画書』に記載しています。なのに、思った結果が出なかったのか、まったく違う論文を提出していた。これは重大な研究不正です」(黒川さん)

 

また、論文をあとで検証しようとしても、それもできない状況にある。

 

「早野氏らは、研究計画書に記された研究期間より1カ月も早く研究を終了し、その時点で、研究で使用したデータベースはすべて廃棄しています。倫理指針では、データはできるだけ長期間保管するように定めているのに、これも倫理指針違反です」(佐藤さん)

 

黒川さんは第2論文の問題点を10個ほど指摘する批判論文を、18年8月に論文を発行した出版社に投稿。それは11月には早野氏にも送られたが、いまだに正式な返答はない。

 

早野氏は先月8日、文科省の記者クラブ宛てに、「70年間の累積線量計算を3分の1に評価していた。初めて気づいた。意図的ではない」などと2枚の声明文を発表。

 

一方、東大で本格調査が始まり、伊達市でも第三者委員会による調査が始まった。

 

本誌の取材に早野氏は、「東大の本格調査や、伊達市の第三者委員会は始まったばかりなので、現時点で申し上げられることはございません」とメールで返答した。

 

個人データを提供したとみられる伊達市は、「調査委員会で調査を進めているが、データ提供について不明な点があった」と回答した。

 

論文共著者の宮崎氏は、「同意を得ていないデータが含まれていることは把握していなかった」。第2論文の誤りについては、「伊達市民及び住民の方々、関係者の皆様に深謝します。伊達市の行う第三者委員会に全面的に協力します」と、メールで返答した。

 

第3論文が研究計画書通りに発表されなかったことについては「内部被曝調査の結果で、ほとんどの方から有意な数値が出ていない。(ごく一部の)有意な結果だけ用いたのでは代表性にかけるとの意見を伊達市からいただき論文化に至らなかった」と回答した。

 

このように、疑惑の多い宮崎・早野論文を、放射線防護の参考資料として採用していたのが、原子力規制委員会の諮問機関でもある放射線審議会だ。

 

放射線審議会は1月25日、「宮崎・早野論文には同意のないデータが使用されていた」として、参考資料から削除する決定を下した。しかし一方で、「学術的な意義において全否定されるものではない。本審議の結論には影響しない」といった見解を表明した。

 

つまり、個人線量での被曝管理は過小評価にはつながらない、という宮崎・早野論文の結論を踏襲するということだ。

 

今回の件に関し、最後に佐藤さんは決意をこう述べた。

 

「伊達市民のデータを使って政府の政策に影響を与える論文を書いておきながら、紙切れ2枚で訂正した早野氏には、伊達市民の前で会見を開いて報告してほしい。このままではこのデータが次に原発事故が起きたときの世界基準にされてしまう。今ここに住んでいる人たちの人権を守るためにも、“がまん量”とも言われる被曝許容量が引き上げられないよう、これからも当事者として追及していきます」

 

(※1)Individual external dose monitoring of all citizens of Date City by passive dosimeter 5 to 51 months after the Fukushima NPP accident (series): 1. Comparison of individual dose with ambient dose rate monitored by aircraft surveys/Makoto Miyazaki and Ryugo Hayano/J. Radiol. Prot. 37 (2017) 1-12

 

(※2)Individual external dose monitoring of all citizens of Date City by passive dosimeter 5 to 51 months after the Fukushima NPP accident (series): II. Prediction of lifetime additional effective dose and evaluating the effect of decontamination on individual dose/Makoto Miyazaki and Ryugo Hayano/J. Radiol. Prot. 37 (2017) 623-634

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