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「昨日、定期検診を受けたら、担当医から“無罪放免のようなものだから、しばらくは病気のことは忘れて過ごしてください”と言われました。まだがんはありますが、共存共生している。がんを映画という薬で抑え込んでいるという感じですかね」

 

’16年8月、肺がんステージ4、余命3カ月という宣告を受けた映画作家・大林宣彦監督(80)。その後2年4カ月が経過した今も、新作映画『海辺の映画館-キネマの玉手箱-』(’19年秋公開予定)の編集作業を毎日続けるなど、その精力的な活動は健在だ。

 

「僕の担当医は、“普通に生活をし、いつもと同じように仕事をすることが、僕の作る映画にも幸せをもたらす。そういう状態を守ることが医者の務めだ”という治療をしてくれています」(大林監督・以下同)

 

担当医はよく効く薬だからと、やたらと飲ませるのではなく、“体力が落ちてから飲みましょう”、“今は体力があるから、この治療を続けましょう”など、監督とともに試行錯誤をしながら治療に臨んでいるそうだ。

 

大林監督は、「米国のある医療機関が何年もかけて調査した、面白い統計があってね……」と、笑みを浮かべながら話を続ける。

 

「何があっても“楽観的でポジティブに考える患者”と“悲観的にネガティブに考える患者”、どちらに薬が効くかを調べたら、楽観的な患者のほうが薬が効くことがわかったそうです。これは極めて非科学的な統計かもしれないけど。楽観的な僕は“なるほどなぁ~”と。実際、撮影現場では“死んでる暇がない”と思うぐらい元気が出る。悲観なんてしていない。僕は映画という免疫によって、生かされていると思っているんだよ」

 

とはいえ、80歳というご高齢。以前の体格よりも、一回りは小さくなったような気もするが……。

 

「がんになってから174センチあった身長が、今160センチ切ってるので、14センチ以上も縮んじゃった(笑)。昔の僕の映像を見ると、自分でも大きいなと思いますね。まぁ、姿勢が悪くなったのもあるけど」

 

さらに監督は、自身に起きた驚くべき“事象”を告白する。

 

「でもね、がん発症後、いつの間にか糖尿病が治ったんです。それと前立腺肥大で1時間に1回はトイレに行っていたのが最近、8時間ぐらいトイレに行かなくても大丈夫になった。何もしないで2つの病気が治りましたよ。これもがんのおかげかもしれないね(笑)」

 

先月、大林作品のプロデューサーでもある妻の恭子さんが、監督と同じ80歳に。同じ年齢になったタイミングで、しみじみ語り合ったそうだ。

 

「2人とも口をそろえて言ったのは、『人生を振り返る時間がなかったね』と。何があっても、いまだに前を向いて生きている。お互い80歳になったけど、まだ現役だし、『老後がないねって(笑)』。だって映画を作るのが楽しいから。充実した人生を送っていると思いますよ」

 

11月30日、大林監督にとってうれしい出来事があった。長年二人三脚で映画を作ってきた、恭子さんが、「第42回山路ふみ子映画賞」で映画功労賞を受賞したのだ。

 

「その贈呈式で彼女がいいスピーチをしてくれてね。『私の記憶は7歳のとき、東京大空襲の焼け野原から始まっています。すべてが焼かれ、写真1枚残っていない。昔の記憶も残っていない。戦争を二度と起こさないために、何か役に立てることはないか。そんなときに映画と出合い、それをこれまでずっとやってきました……』。とうとうと、しかも簡潔にスピーチ。僕は会場で聞いていて“こんなにしゃべる人だったんだ”と(笑)。そこへいくと監督というのは好き放題、やりたい放題。それを勝手にやらせてくれたのは、プロデューサーである妻であったわけです。そして今は、11歳から映画に関わっている娘の千茱萸と娘の夫と一緒に、家族で映画を作っている。これは幸せなことです」

 

こう話しながら、監督は自身の人さし指で肺を指しながら……。

 

「そう考えるとね、時々ここで暴れたがるがんは駄々っ子にしか思えない。表現者は会話人間ですから、僕の体にすみついた以上、“俺の命がある限りは飼ってやるから、いい子にしてろよ”と、いつも話しかけています。がんとは共存共生。“オマエも長生きしたければ、俺に優しくしろよ。俺が死んだらオマエも死ぬんだからな”って(笑)。今はちゃんと言うことを聞いてくれていますよ」

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