「懐かしかぁ!僕のつくった雑誌ばい。見えとる部分の消しが甘(あも)うて、よう桜田門(警視庁)に行って始末書書きました」

 

“あな、股あな”“陰部マン部愛撫”……。こんな直球どまんなかのキャッチコピーが踊っていたのは、’79年から’90年まで人気を誇った劇画誌「漫画エロス」だ。編集長は、当時30代の岡野雄一氏(64)。

 

岡野氏はいま、還暦を過ぎて大ブレイクした遅咲きのベストセラー漫画家だ。徐々に“ほどけていく”(ボケていく)母・光江さんとの日々を描いた『ペコロスの母に会いに行く』を自費出版したのが’08年。’12年、西日本新聞社から再編集版が発売され、現在23.5万部の大ヒット作となっている。その翌年映画化されると、これも「キネマ旬報」年間1位に輝いた。

 

認知症介護の切実さを、あえて「ようボケとる」と笑いにしたことが癒やしと共感を呼んだ。NHKが密着取材し、11月5日の朝日新聞には岡野氏に介護体験を聞くインタビューが1ページ大で載った。現在は「週刊朝日」「西日本新聞」「東京新聞」などで連載をもつ。

 

岡野氏は、漫画家を目指し20歳で上京。しばらくブラブラしていたが、飲み友達の紹介で、25歳で出版社・司書房(’07年倒産)に入社。時代はエロ劇画の黄金期で、増刊を含めれば100誌に迫る競合誌があった。いまも現役エロ漫画編集者の塩山芳明氏(61)は、当時の岡野氏を知る1人だ。

 

「若いときからあんな頭してて、出版社があった水道橋の駅でも目立ってたよ(笑)。でも、裏方に徹するタイプだったから、『ペコロス』の作者があの人だと聞いて本当に驚いたなあ」

 

エロ漫画業界は好況だった。「’97年ごろまでバブルは続いた」(塩山氏)が、絶頂期の’90年、岡野氏はひっそりと長崎に帰郷した。編集者仲間の吉田薫氏は「岡野さんが奥さんに逃げられて大変なことになっていると噂だった」と証言する。

 

「バレとったとか(笑)。でもそれはじつはたいした問題じゃなかった。漫画との距離、故郷に残した両親……。いろんな理由があったけんね」

 

長崎では営業マンをやったり、フリーぺーパーの編集などを転々。挙げ句、ナイト系タウン誌の編集長になる。『ペコロス』は、この雑誌に連載したものだ。

 

今年8月、岡野氏の母、光江さんが亡くなった。それでも岡野氏はこれからも母との日々を描いていくという。

 

「若いころ憧れて、仕事では墨で消してきた“おまんこ”が、年を経てオシッコ漏らしてオムツで包まれる。エロの対象が介護の対象に。“あな、股あな”は面白うて深いなあ」

 

(週刊FLASH12月16日号)