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「五輪エンブレムの賞金は100万円ですが、サントリーの仕事は『佐野研二郎デザイン』と銘打っており、おそらくギャラは1千万円以上。複数年契約のトヨタのキャンペーンは億単位でしょう。受賞歴も多数で、仕事ができるデザイナーであることは間違いない」

 

渦中の佐野研二郎氏(43)と同じ広告代理店・博報堂のOBで、著述家である本間龍氏の佐野氏評だ。有能で謙虚−−。周辺から聞こえてくるのはこんな好意的な声ばかりだ。佐野氏は高校3年生の春休みから美術系大学に志望を定め、代々木ゼミナール造形学校に通いはじめた。

 

「佐野君は陸上部に所属していたけど、スポーツ万能タイプではなく、ひょうきんで人を笑わせるほう。そして絵を描くことが大好きでした」(同級生・Aさん)

 

一浪し挑んだ東京芸術大学は最終試験で不合格となり、多摩美術大学に入学する。広告研究会で同級生だったBさんは、「当初、佐野の絵はたいしたことなかった」と言う。「彼が広研をやめてからも、よく一緒に作品を作りました。いつもニコニコしていて、真面目。進級するうちに力をつけ、教授にも可愛がられるようになりました」。

 

4年生になるころには学内で知られた存在になっていた。「デザイン力はずば抜けていた。遊びのほうもがっつりで、いかにも広告マンになりそうな感じ」(同級生・Cさん)。卒業制作で、佐野氏は学科の同級生とラフォーレ原宿で展覧会を開催。高価な作品集もかなり売れたという。

 

博報堂に入社後、2年めにして日光江戸村のキャラクター「ニャンまげ」を手がける。20代で売れっ子となった佐野氏だが、「アートディレクター養成講座」に生徒として参加していた。ともに通った現役デザイナーが語る。

 

「佐野さんは、当時すでに講師でもいいくらいの存在でした。ある講義で、『世界を変えるデザイン』という課題が出たんです。僕らがイラストを使って説明するなか、佐野さんは、時間がないのに業者を探し、実物を作って“立て板に水”の語り口でプレゼンした。レベルが違いすぎて、唖然としました。講師も『そのままで、どの企業、自治体も採用してくれるよ』と絶賛でした」

 

それが、のちに海外の広告賞を受賞する「地球ゴミ袋」だ。表面に世界地図がデザインされ、中身が入って膨らむと地球のように見える。そんなアイデアが無尽蔵に生まれ、それを形にするスピードも他を圧した。

 

’01年、佐野氏はのちに「転機」だと振り返る案件に取り組む。日本ラグビーフットボール協会のポスターだ。黒地に、横向きになった「男」という字が配置されただけの単純な構図。誕生のきっかけは、先輩アートディレクターの事務所で作品を見たことだ。

 

「レディメイド(既製品)のものをポンポンと配置しただけなのにとてもメジャーな感じがあって、この方向を目指そうと強く思ったんです」(ウェブ媒体「クリエイターズファイル」の取材に)

 

製作時間がなくてもロケに行けなくても、知恵で作品は成功する。佐野氏は、別の書籍ではこう語っている。このとき、佐野氏は“堕落の十字路”に立っていたのだろう。

 

ヒットを積み重ね、’08年に独立した佐野氏。快進撃は今年7月24日、自身の作品が東京五輪のエンブレムに選ばれたことで頂点に達した。しかし、そこからの転落はあまりに早かった。

 

(週刊FLASH9月22日号)

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