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美智子さまが、皇太子妃時代からご体調管理の相談をされていたという台湾の名医、荘シュクキさんの訃報が台湾中を駆け巡ったのは、’15年の2月のことだった。美智子さまにとって“大切な恩人”であるはずだが、その事実は、当初、皇居内では“秘密”にされていた。皇室ジャーナリスト・松崎敏弥さんが話す。

 

「荘先生のご遺族や関係者はすぐに宮内庁に知らせたものの、『美智子さまが強いショックを受けてしまわれるのではないか』と心配し、時間をおいてお伝えすることになったそうです。それほど深い関係だったということです。あのとき、美智子さまは、1泊3日の強行日程でベルギーのファビラオ元王妃の国葬に参列されたばかり。海外王室のなかでも“いちばんの親友”を失った美智子さまに、側近がご報告を躊躇したというのも無理はありません。さらに2カ月後には戦後70年の“慰霊の旅”、パラオご訪問が控えていました。当時、美智子さまは、ご体調に不安があったにもかかわらず、陛下をお支えしなければと気丈に振る舞われていましたから」

 

たとえ訃報を知ったとしても、お立場上、台湾に駆けつけることはまず不可能。ならば、ご負担を減らしたいと思うのは当然かもしれない。

 

荘さんは、台湾では「がん予防の母」「伝説の行医」とも呼ばれていた。この行医とは、家庭予防医学の観点から心と体の調和をはかり、健康な生活を送れるように指導する医師のことだという。没後1年を経て、荘さんの三女・静子さんが、38年前に始まった美智子さまとの“交流秘話”を明かしてくれた。

 

「母は41歳のときに慶應義塾大学医学部薬理学教室で博士号を取得したあと、経済界の要人の健康管理などをしていたので、名前が知られるようになっていました。そんな母の元へ、宮内庁の方から『皇太子妃のご健康のことで、ご相談したい』と連絡があったことが、ご縁の始まりです。美智子さまは、’75年の沖縄での“火炎瓶事件”以降、大きく体調を崩されていました。そこで母は、最初に美智子さまの1週間分の食事のメニューを見直したそうです。1日の食事量のバランスもよくなかったので、朝3、昼2、夕1という割合を守っていただくよう申し上げました」

 

宮中の習慣や皇太子さま(当時)の生活への影響も心配したが、提案した“日課”のすべてを、美智子さまは受け入れてくださったという。たとえば、雨の日も欠かさないという早朝のお散歩。これはこのとき荘さんが提案し、今も続けられている日課だ。

 

「まだ朝露が落ちている時間に、草木の呼吸に合わせるように歩きます。これにより、体の中からリフレッシュすることができるのです。また、お化粧よりも体の内側から“健康的な美しさ”を作り上げましょうと申し上げて『宇宙体操』をおすすめしました。これは、長いタオルを使った5分間ほどの体操で、疲労対策や胃腸の働きをよくしたりするものです」

 

普通の人は自分の長生きのために健康に気を使うが、美智子さまのご努力にはもう一つ、別の目的がある。

 

「美智子さまと母との手紙のやりとりは数百通にもおよびます。母が亡くなった後は、私が代わってお答えしたこともありましたね。今それらを読み返しているのですが、美智子さまのお言葉からは、日本国民のために健康であり続けなければならないという、とても強い“使命感”が伝わってきます」

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