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73年前に、激しい砲火にさらされた場所だとは想像できないほど静かな海。「国立沖縄戦没者墓苑」が建つ摩文仁の丘には、強い日差しの下、穏やかな風が吹いていた――。

 

3月27日、沖縄に到着された天皇皇后両陛下は、真っ先にその丘を訪れて、東京から持参された白菊の花束を捧げ、拝礼された。

 

そこで美智子さまが、もっとも長い間、話をされたのが、元沖縄県遺族連合会長の照屋苗子さん(82)だった。

 

照屋さんが美智子さまと対面するのは、今回で5回目となる。初めて会ったのは、皇太子ご夫妻時代の’87年。2度目は即位された天皇陛下が、歴代天皇として初めて沖縄県を訪問した’93年だった。照屋さんは、このときの思いがずっと心にこびりついていたという。

 

「父をはじめ家族5人を亡くした私は、終戦時、9歳でした。2度目の対面のときに両陛下から『ご苦労なさいましたね』と、お声をかけられ、涙が止まらなくなってしまったのです」

 

戦後の混乱、困窮のなか、身を粉にして自分たちを育て、その約20年前に、68歳で亡くなった母・ツルさんのことが心に浮かんだのだ。

 

「苦労したのは、私じゃなくて母です。なぜ“もっと早く沖縄に来てくださらなかったのですか?”という思いが急に湧き上がってきて……」

 

その後も、両陛下にお会いするたびに、複雑な思いが湧き上がっていたという照屋さんだが、今回、5度目の面会で、その思いを汲んだようなお言葉を、美智子さまからいただいたというのだ。

 

「遺族連合会の方たちを労ってくださった後でした。美智子さまが、『覚えていますよ』と話しかけてこられたのです。2度目にお会いしたとき、私が記者の方たちに話して報道された『天皇陛下の沖縄ご訪問は遅すぎました。もっと早く来てくださり、母に直接お言葉をかけて欲しかった』という言葉を、多分、皇后さまはご存じだったのでしょう。私に『お母さまはお元気ですか? よろしくお伝えください』とおっしゃったのです。その日の朝、私は母の墓参りに行って、2人で撮った写真をハンドバッグの中に入れていたのです。美智子さまのお言葉を、直接天国の母に聞かせることができたように感じて、ふっと心が軽くなるのを感じました」

 

照屋さんは、墓苑に供花されるご様子を拝見して、美智子さまが左足をかばうように、歩かれているのがわかった。

 

「そのお姿に、これほどお体の悪いときでも、遠い沖縄にお越しになって、亡くなった人たちの供養をしてくださる。その両陛下への感謝の気持ちが、素直に湧いてきました。これまで私の心から消えなかった、もやもやした思いがなくなり、今は素直に、11回も沖縄を訪問していただき、『ありがとうございました』という気持ちになりました」

 

歴史を背負い、沖縄へ思いを寄せ続ける――。その責務は両陛下から、新天皇となられる皇太子さま、そして雅子さまへ受け継がれてゆく。

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