皇室ジャーナリスト・渡邉みどりさん 美智子さまとの“出会い”は20歳

前日の雨もやみ。青空の下、柔らかな春の日差しが降り注ぐなか、6頭立ての馬車が、皇居二重橋から滑るように現れた。’59年4月10日午後2時30分。皇太子殿下(当時)と美智子さまのご成婚祝賀パレードが始まった。

 

沿道には53万人もの人々がお祝いに詰めかけ、全国の街頭テレビには1,500万人が集まった。コースは、皇居から桜田門、四谷、神宮外苑、青山を経て、渋谷の東宮仮御所まで8.8キロの道のりだ。

 

そのとき、渡邉みどりさん(84)は、青山学院大学のグリークラブのメンバーを率いて、コースの終盤の青山通り沿いで待機していた。

 

「両陛下が通られるそのときにハレルヤをコーラスして、何がなんでも美智子さまに、テレビカメラのほうを向いていただく。それが日本テレビの秘策だったのです」

 

当時、渡邉さんは入社3年目の新米中継スタッフだった。その秘策は見事に的中する。

 

「果たして、美智子さまは、グリークラブに向かって45秒間、お手振りをしてくださったのです!」

 

テレビカメラは、美智子さまの聡明な笑顔をアップで捉えることに成功し、そのあふれんばかりの健康美を全国に伝えたのだ。

 

「あのパレード中継に携わったことで、この先も美智子さまにこだわり続ける予感はありましたね」

 

渡邉さんは、生まれ年も美智子さまと同じ’34年。小学校入学とほぼ同時期に戦争が始まり、玉音放送を疎開先で聞いた世代だ。

 

’57年に日本テレビ入社後は、33年にわたって皇室番組の制作に携わり、昭和天皇崩御の特別番組ではチーフ・プロデューサーを務めている。

 

民放初の女性エグゼクティブプロデューサーまで上り詰めると、文化女子大学の教授に転身。ワイドショーなどに登場する帽子がトレードマークの皇室ジャーナリストとして、おなじみの方も多いだろう。

 

「思えば、日本でテレビ放送が始まったのが’53年。それから5年で100万台まで普及したテレビが、美智子さまのご婚約に始まる“ミッチー・ブーム”で、一挙に200万台に倍増しました。何かあったらテレビをつけるという新しいライフスタイルが生まれ、高度経済成長の前触れともなったのです」

 

美智子さまのご成婚は、日本が終戦後の焼け野原からの復興を果たし、人々の生活が豊かになっていく新しい時代の幕開けを予感させるものでもあったのだ。

 

そのご成婚の日からちょうど60年後の4月末。平成の時代は終わり、30年間、皇后として天皇陛下を支えられてきた美智子さまも、そのお務めを終えられる。

 

長年、美智子さまを見つめ続けてきた渡邉さんはしみじみとした深い声音でこう言った。

 

「『お疲れさまでした』。もう、その一言に尽きます」

 

渡邉さんが、正田美智子さんの名前を最初に知ったのは、20歳のときだった。

 

毎年、成人の日を記念して、読売新聞で懸賞論文「はたちのねがい」を全国規模で募集した。’55年1月15日、その年集まった4,185通のなかから、2位入選を果たしたのが、聖心女子大学の学生だった美智子さまだ。渡邉さんも応募したが、3次選考で落選していた。

 

「入選だけでしたら、美智子さまのお名前もすぐに忘れてしまったでしょう。ところが、2月5日の新聞でこう報じられていたんです」

 

《2位入賞の正田美智子さんは、賞金2,000円を、恵まれない人への社会事業と奨学資金に寄付》

 

「この報道で、同じ年齢のすごい方として、正田美智子さんのお名前が強く刷り込まれてしまいました。私は、もし、入選したらスキーに行こうと考えていましたから、誠にお恥ずかしい次第でした」

 

3年後の11月27日、史上初の民間出身の皇太子妃が発表された。

 

「その歴史のヒロインは、論文2位のあのすごい方だったのです」

 

渡邉さんの心は躍った。

 

そうして迎えたご成婚パレードの生中継。美智子さまの輝くばかりの笑顔を間近で拝見した渡邊さんの心に火がついた。

 

以後、皇室特番の制作に進んだ渡邉さんは、持ち前の粘っこい取材力を発揮。それまでのメディアでは決して流れなかった皇室の方々の素顔の部分をクローズアップしていった。同級生から聞き出した「浩宮さま(現皇太子)のお芋掘り」の映像はスクープになった。

 

日本テレビの2年後輩・徳市慎治さん(元株式会社バップ最高顧問)はこう話す。

 

「渡邉さんは、われわれニュース報道が取材しないところに目を向ける独自の視点を持っていました。ファッションに注目したことも、当時は誰もやっていなかった。視聴者が皇室の何を知りたがっているのかを、常に考えていましたね」

 

ファッションや子育てという身近な話題を通して、雲の上の存在としてではなく、美智子さまの人間としての魅力に着目した渡邉さんの番組は、次々に高視聴率をたたき出していった――。

 

ベージュの帽子にグレーのジャケット。襟にはカメオのブローチ、胸ポケットにチーフと、渡邉さんはいまもお洒落だ。

 

「この年になると、いろいろ大変なんですよ。第二腰椎圧迫骨折と脊柱管狭窄症で、朝晩に強い痛み止めを2年くらい飲んでいます。でも、美智子さまがこのお年でご公務に臨まれる姿を見ると、私たちも頑張らねばという気持ちになりますね」