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アイドルヌードの歴史は、’60年代まで遡る。「カルチャーステーション芸能資料館」の店長・田川修氏は、「確認できる日本最古のものは、’68年の緑魔子『悪の華わが性からの復権』」だと語る。

 

「’60年代、ヌード写真は社会的に認められず、一部のファンのためのものでした。’70年代に『週刊平凡パンチ』や『週刊プレイボーイ』がヌード写真を出すようになり、市民権を得たのです」

 

写真集の販売が一般的になったのは、’80年代から。田川氏によれば、ピークは2回あり、1回目は、’80〜’85年。この時期に『おくさまは18歳』の岡崎友紀(’81年)、日本アカデミー新人俳優賞受賞の田中美佐子(’83年)、コメットさんこと大場久美子(’84年)などがヌードに。

 

次のピークは黄金期を迎える’91〜’95年。王道のさとう珠緒(’93年)から、海外出身タレントのビビアン・スー(’95年)まで、続々と脱いだ。そのきっかけを作った出来事が、’91年のヘア解禁である。それまで、ヘアヌードには厳しい規制があったが、樋口可南子の『water fruit』で、門戸は開かれた。そして、発行部数155万部の宮沢りえ『Santa Fe』が生まれる。『AKB48の経済学』の著者、田中秀臣氏は「ヌードは時代を象徴する」と言う。

 

「『Santa Fe』の宮沢りえ、’97年の菅野美穂、’98年の葉月里緒菜は、絶頂期のころに発表しました。“脱ぐのは落ち目のタレント”という従来のイメージを覆しました。これらは本格的な景気悪化前のゆとりある時代の産物だといえます。現在は、ネットでも見られる時代なので、写真集の売り上げは伸びない。’00年代に脱いだWinkの鈴木早智子、パイレーツの西本はるか、細川ふみえなどは、もう10年早く脱いでいたら反響が大きかったかもしれません」

 

アイドルが脱ぐ理由について、映画評論家の前田有一氏は「大きく分けて『鮮烈デビュー型』と『イメチェン型』に分けられる」と話す。

 

「『鮮烈デビュー型』は、壇蜜や高岡早紀のように、デビュー初期の時点で、『私はコレくらいできる』と潔く脱ぐパターン。失うものがないからプラスになります。『イメチェン型』は、鈴木杏などがあてはまるが、失敗しやすい。清純派アイドルや子役出身はどうしても、脱がされる痛々しさが見えます。珍しく、大成功したのは“離婚芸人”のようになっていた沢尻エリカでしょうね」

 

(週刊FLASH10月27日号)

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