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杏、神田沙也加、松たか子をはじめ二世タレントの快進撃が止まらない。なんといってもデビュー時に親の名前があるので、知名度が段違いだ。

 

香川照之は40年以上の断絶ののち、父子の縁で歌舞伎の舞台に立った。もともとは芸の世界と無縁のまま、東大に入学。それでも俳優への興味を捨てきれなかった香川を、母・浜木綿子はTBSのADとして働かせれば「役者の大変さがわかるので嫌になるだろう」と考えた。しかし「裏方がつらかったから、やはり役者をやりたい」と、かえって俳優への志が強くなった。

 

’11年には、父・猿翁(えんおう)と和解し、市川中車(ちゅうしゃ)を襲名。40代になって梨園に入るというのはきわめて異例である。

 

「香川さんは名跡・市川猿之助を息子に継がせたいのです。自分は歌舞伎の世界に入ったのが遅かったから、息子にその夢を託したんです」(芸能関係者)

 

ヘリポートもあった京都の豪邸で育った松方弘樹(73)と仁科亜季子(62)の長男・仁科克基(33)は言う。

 

「生まれたときから家族のほかにお手伝い4人、運転手2人が住み込みでした。毎年夏に300人を呼んでおこなうBBQパーティーには、太秦で撮影している役者さんのほとんどが来てました」

 

偉大な父の背中を追いかけて帝王学(?)を学ぶ。

 

「あのころはサラリーマンの年収ぐらいのお小遣いをもらっていたときもあり、父のしていたことを真似てましたね。父が番組のスタッフ30人を連れて食べたり飲んだりしていたので、僕も中学校の同級生全員を連れてマクドナルドや焼き肉をごちそうしたり(笑)」

 

しかし、両親が離婚すると生活は一転、16歳で上京し7畳1Kの部屋で初めて一人暮らし。圧迫感で死にそうになったそう。それを機にいろいろ経験し、世間との違いに気づいたという。

 

「親が芸能人であれば、生まれたときからコネがあるのでデビューはしやすい。しかし、一般家庭に生まれ、当人の意志で芸能事務所や劇団に入り、訓練してきた人には勝てない」

 

と語るのは、芸能史に詳しい「クラシックジャーナル」編集長の中川右介氏。芸能界の敷居が下がったぶん、二世の看板よりも中身が問われるのは必定、なのか。

 

(週刊FLASH10月27日号)

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