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「暮しの手帖」創刊号(国立国会図書館)

『とと姉ちゃん』は「暮しの手帖」を100万部雑誌に育てた暮しの手帖社社長、大橋鎭子(しずこ)の一代記だ。大橋さんは 10歳で父を亡くし、”とと(父)”のような姉として母と妹2人と生きた。

 

終戦後、家族と幸せに暮らすには収入が足りず、出版社の起業を考える。

 

「そこで、大橋さんは天才的な万能編集者、花森安治に協力を仰ぎます。当時大橋さんは25歳。編集はシロウト同然でしたが、並み外れた行動力の持ち主で、花森にはないものがあった。この出会いは互いに幸運でした」(『花森安治伝』の著者、津野海太郎氏)

 

大橋さんや花森、妹たちが創刊した「暮しの手帖」は、皇族の手記や「商品テスト」(後述)が話題となり、国民的雑誌となる。

 

大橋は生涯、結婚しなかったが、会社を家族のように考えていたという。元編集長で同社に42年在籍した尾形道夫さんはこう振り返る。

 

「会社には”当番制度”があったんですよ。定時30分前に出社して掃除。10時半から花森さんの昼食の用意、残業している社員30人分の夕食の用意…。その日は仕事になりませんでした(笑)」

 

一方、43年間在籍した元編集部員・加川厚子さんはこう語る。

 

「会社設立のとき『女の人が働ける会社をつくりたい』と言っていたそうです。当時、私は結婚しても会社に勤められるなんて思っていなかった。終戦直後、戦争未亡人など独身女性が多かったから、彼女たち向けのグループホームをつくる夢もあったみたい」

 

「暮しの手帖」を有名にしたのが「商品テスト」だ。ベビーカーを100キロ押して歩いて故障するかどうかチェックしたり、トースターでパンを4万3000枚焼いて耐久性を確認したり。「火事のテスト」では、家一軒を燃やしてしまったことも。

 

1964年の第74号によると、ミシンのテストをしたときの費用は約263万円。のべ1366人、4482時間という大規模なものだった。

 

「暮しの手帖」が爆発的に売れたことで、大橋さんは長者番付の常連となった。たとえば、1990年度の推定年収は4300万 円(納税額1776万円)にも。

 

「もっとも、商品テストなど制作費がかさみ、鎭子さんの財産はほとんど残りませんでした。土地や高島平の大きな倉庫も売りましたが、企画をやめようとは言いませんでした」(尾形さん)

 

こうした商品テストが、どのように映像化されるのか楽しみである。

 

(週刊FLASH 2016年4月12日号)

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