image

この春、小堺一機(60)が31年半司会を務めていた長寿番組『ごきげんよう』が終了した。その後継番組ともいえる新トーク番組『かたらふ~ぼくたちのスタア〜』(フジテレビ系)収録前のこと。「僕でページもちますか?」と記者に笑いかける彼のひと言から、今回の取材が始まった。

 

「『長寿番組の司会』と言われますが、じつはあの番組の司会者はサイコロなんです(笑)。サイコロがその日のトークテーマを決めてくれるから、僕は出演者でいることができたんです。

 

初めて司会に抜擢されたのは、その前身番組の『いただきます』でした。そのとき僕は、塩沢ときさん、浦辺粂子さん、小森のおばちゃまを相手に、必死になってしゃべりすぎていたらしいんですよ!」

 

放送開始当初は視聴率が伸びず、プロデューサーから「この番組、いつから面白くなるんですか?」と聞かれる始末。テレビ評に番組の題名をもじって《消えていただきます》と書かれたこともあった。

 

「ある日、関根(勤)さんから『堺正章さんが、“なんであんなに面白いおばさんがいるのに一人でしゃべっているんだ”と言ってたよ』と教えてもらって。萩本欽一さんからも『周りの話を聞かないなんてもったいない』と言われ、翌日から『話を聞く』ようにしたんです。

 

そうしたら面白いのなんのって。そこから相手の話を聞くことの大事さを学びました。 

 

僕の人生、ずっと人任せだったんです。テレビに出たのも友人にハガキを出されたのがきっかけで、自分で決めたことってあまりないんですよね(笑)。

 

子供のころも、父の転勤で学校が3回変わりましたが、子供ながらに環境が変わることが苦労ではなく楽しかった。父が板前をやっていたから、仕込みの間は子供がいないほうがいいんです。だから『映画館に行ってろ』なんて言われていて、天国のような毎日でした。

 

高校2年生のときに好きなコもできて、5年間の片思いの末に告白するも見事に玉砕。『僕がどんな存在か、言いにくかったら○か×で教えて』って言ったら『×』だった。でもこれをきっかけに、何か夢中になれるものを探すようになったんです。

 

そこで初めて両親に向かって「3年だけ、やらせてください!」と言ったんです。それから気づけば還暦になっていました(笑)。萩本さんからは芸の道の厳しさを教え込まれましたね。『同じ意味のことを違う言葉ですぐ10通り言えるように』とかね。詰まったら即座に「ハイ、0点!」ですから(笑)。

 

もちろん、『ごきげんよう』の収録でトークが苦手なゲストもいましたよ。僕はそんなとき、お客さんに向かって変な顔をして笑ってもらっていたんです」

 

トークの達人が伝授するサラリーマンの「究極の会話術」とは――。

 

「相手の話がつまらないときは逃げちゃうのがイチバン。でも相手が上司だったら我慢するしかないよね。そんなときは体勢を前のめりにして相手をのせてあげると、気持ちよくなって話を早く終わらせることができる。聞いてないと思われると、聞かせようとするからかえって長くなる。

 

だいたい、仕事ができる人は話が短い。会議なんて長くてよかった試しがない。時間かけてああだ、こうだ言うのはただの報告。会議とは本来ディスカッションだけど、廊下でしか本音が言えない人が多いよね。

 

おかげさまで僕の周りには話がヘタな人っていないんです。彼らに共通するのは『聞き上手は、話し上手』。つまらない話を聞き続けるのも力だし、それを返すことで自然と相手を成長させることもできる。たとえば「その話ってどこで聞いたんですか?」。

僕らの世界でいうツッコミを皆さんは“否定” と思うかもしれないけど、それは間違い。相手が次に発する言葉を引き出すことができる。

 

会議室で話すよりも居酒屋で楽しい話をしたほうが、いいプランが出ると思いません? 今度の新番組も飲み屋の雑談から生まれたんです。『お互いに好きなことだけを話し合って、知識を高め合えるのっていいよね』という話になって。

 

じゃあゲストを呼んで好きな人について夢中で話し合ったら面白いんじゃないかって。僕一人で誰かについて話をしても番組にはならないけど、そこにゲストがいてくれることで勝手に回るしね。ここでも僕は人任せ(笑)。

 

基本的に人間は顔のパーツが全部前を向いているでしょう。だから本来前向きなんです。『ごきげんよう』が終わると知った瞬間の妻の反応も『あっ、そう』でしたし(笑)。

 

ネガティブなことを考えるより、それをチャンスと思うようにしています。これからも死ぬまで、人任せで前向きに生きていけたらいいですね(笑)。

 

(週刊FLASH 2016年5月24日号)

関連タグ: