西城秀樹の妹、河合奈保子さん 画像を見る

住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、憧れていたアイドルの話。活躍する同世代の女性と一緒に、“’80年代”を振り返ってみましょ――。

 

■ヒデキの、そしてみんなの“かわいい妹”

 

「河合奈保子さんは、’80年、西城秀樹さんが所属する事務所が開催した『HIDEKIの弟・妹募集オーディション』で優勝し、“秀樹の妹”として、アイドル歌手デビュー。ファーストシングル『大きな森の小さなお家』、セカンドシングルの『ヤング・ボーイ』はアイドルらしい曲でしたが、サードシングル『愛してます』(すべて’80年)は、グッと大人っぽい雰囲気で“こういう曲も歌うんだ”と意外性がありました」

 

こう話すのは、世代・トレンド評論家の牛窪恵さん(54)。その後、『スマイル・フォー・ミー』(’81年)が大ヒット。

 

「フリもすごくかわいらしかったのですが、そこには計算高さや邪悪さがなく、無垢で太陽みたいな印象を与えました。抜群のスタイルもあって、アイドルの水泳大会にも出演。河合奈保子さんの場合、カメラが胸元に寄っても、視聴者は笑顔のほうに吸い寄せられたのではないでしょうか。男性ファンにとっても“かわいい妹”という存在でした」

 

一方、女性からも人気が高かったのも特徴だ。

 

「水着姿でグラビア撮影をする胸の大きな女性タレントに反発する女性が当時、一定数いましたが、彼女は裏表のない天真爛漫な印象が強かったため、ほとんど敵を作りませんでした」

 

『けんかをやめて』(’82年)、『エスカレーション』(’83年)などヒット曲を連発し、関西ではラジオ番組『MBSヤングタウン』(’67年~・MBSラジオ)の火曜を担当。

 

「おっとりとした河合さんに、掛け合う嘉門達夫(現・嘉門タツオ)さんは当初、困惑したとも伝えられていますが、河合さんはもともと、関西出身。リスナーだった私の夫によると、ツッコミに対してしっかりボケていたそうです」

 

ジャッキー・チェンが、河合に好意を寄せた男性の一人と報じられたことも――。

 

「デュエット曲の『愛のセレナーデ』(’88年)は、河合さんが作曲を担当しました。さらに『ドリフ大爆笑』(’77~’98年・フジテレビ系)でコントに挑戦するなど、まさにマルチな活躍を見せましたが、’96年以降、結婚・出産を機に芸能界から距離を置き、オーストラリアに移住。その潔さも、無垢な彼女らしいのかもしれません」

 

河合にとって転機となった『けんかをやめて』を作詞・作曲した竹内まりやの40周年を記念したラジオ番組で’18年、21年ぶりの肉声メッセージを寄せたことが話題になるなど、復帰待望論は強い。

 

【PROFILE】

牛窪恵

’68年、東京都生まれ。世代・トレンド評論家でマーケティングライターとして『ホンマでっか!?TV』フジテレビ系)など多数の番組で活躍

マーケティングライター、世代・トレンド評論家

【関連画像】

関連カテゴリー: