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住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、憧れていたアイドルの話。活躍する同世代の女性と一緒に、“’80年代”を振り返ってみましょう--。

 

■ファッションの斬新さは今も色あせません

 

『DESIRE-情熱-』(’86年)は、中森明菜にとって14枚目のシングルとなる。同曲が採用され、明菜自身も出演していたCDコンポ(パイオニア)のCMが、記憶に残っている人も多いはず。

 

レコードには、楽曲への自信の表れなのか「このレコードは可能な限り大音量でお聴きください」という注意書きが記されていた。

 

「前年に発表した『ミ・アモーレ』(’85年)に続き、2年連続で日本レコード大賞を受賞するという、史上2例目となる快挙を達成。明菜さんを、アーティストとしての絶頂期へと押し上げた名曲です」

 

こう話すのは、世代・トレンド評論家の牛窪恵さん(54)。

 

まず、この楽曲でインパクトを与えたのは、ボブのウイッグを身につけたヘアスタイル、そして独特のファッションだった。

 

「レコード(CD)のジャケット写真は着物姿でしたが、歌番組などで歌うときは、着物をアレンジしたような、和テイストをふんだんに盛り込んだ洋装。日本の文化を感じさせたためか、外国人の間でも評価が高かったようです。ファッションの斬新さは約35年を経た今も色あせていません。いまだにコスプレ用の衣装がアマゾン・ドットコムでも販売されているのが、その証しでしょう。アイドルのイメージが周囲のスタッフによって作り上げられていた時代、明菜さんはメークやファッションなどで、自分自身をプロデュースしました。曲によってガラリと印象が変わるのはそのため。翌年の『難破船』などは、まったく別の歌手のようでした」

 

観客から『はっ、どっこい!』と合いの手が入るサビの部分のアクションも特徴的。

 

「上半身を揺らし、大きく屈むパフォーマンスは、野球のピッチングフォームから着想を得たという逸話も。カラオケを楽しむ若者が増えてきたころだったため、こうした振付も含めて愛されました。私自身、パイオニア協賛のカラオケ大会で、この曲を歌って準優勝したことがあるくらい(笑)」

 

同曲が発表された’86年は、バブル絶頂期へと上り詰めていく時期。

 

「今振り返ると当時は、右肩上がりの景気に誰もが浮かれていました。それが“バブル”で、近い将来“崩壊”するとは予見できなかった半面、どこか短期的な、はかなさを感じていた人もいたはず。そんな時代の中、ある意味、刹那的ともいえるサビの部分の歌詞も、人々の心に刺さったのかもしれませんね」

 

【PROFILE】

牛窪恵

’68年、東京都生まれ。世代・トレンド評論家でマーケティングライターとして『ホンマでっか!?TV』フジテレビ系)など多数の番組で活躍

マーケティングライター、世代・トレンド評論家

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