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(写真・神奈川新聞社)

東日本大震災による津波や火災で甚大な被害があった宮城県気仙沼市で遠洋マグロ漁師として奮闘している青年がいる。横浜市瀬谷区出身の瀬戸山郁人さん(19)。昨年、慕っていた継父の敬さんが、がんで急逝した。喪失感や無常感に襲われるなか、「せっかく生きるなら本当にやりたいことを」と、憧れだった漁業の世界に飛び込んだ。悲しみに沈みながらも前に進もうとする気仙沼の町は、自身の境遇にも重なって見えた。

「船内の機械や装置の管理は奥が深い職人の世界。覚える部品だけで数万種類ある。初めて自力でエンジンをかけられたときは本当にうれしかったっす」

昨年9月から約5カ月間、初の遠洋操業に出た。「一番苦しかったこと? 持っていったお菓子を全部食べてしまって、甘い物を食べられなくなったときっすかね」。あどけなさが残る、19歳の笑顔を見せた。

震災発生時は中学3年だった。母親の雅美さん(40)が再婚するまでは母子家庭。妹も2人いて、早く働いて家族に楽をさせたいと思い、卒業後は地元の建設会社に就職することを決めていた。

県立希望ケ丘高校(横浜市旭区)定時制に進学するも、仕事との両立が難しく中退。ほどなく母親が敬さんと結婚して弟が生まれるなど家庭環境が変わり、心の余裕もできたが、幼いころから憧れていた漁師の仕事には踏み出せずにいた。

そんな中、敬さんが15年2月に急逝。享年30。年齢が近くても血のつながりがなくても、父として愛情を持って接してくれた。

突然の別れに立ち止まる。一度きりの人生、悔いなきよう挑戦しないと-。

7月、スマートフォンで漁師の仕事を検索した。気仙沼市にある宮城県北部船主協会の求人ブログが目に留まった。仕事内容に魅力を感じたのが決め手ではあったが、「気仙沼という地名を見て『あっ、被災地だ』って、ハッとした」。

初めて足を運んだ被災地。港の周辺には半壊した建物や自動車が残り、道路はひび割れたままだった。配属された「第8明神丸」の僚船は津波で陸地に打ち上げられ、2カ月間そのままだったと聞いた。

多くの人が一瞬にして大切なものを失った町。家族を亡くした自身の心情が自然と重なった。

最初のうちは船酔いになったり、マグロの巨大な内臓を見てショックを受けたりしたが、今では期待の若手と目される。船内で直属の上司に当たる機関長の石田孝春さん(61)も「すごく素直でよく伸びる。自分の後を任せたいくらい」と太鼓判を押す。

まずは経験を積み専門資格の海技士を目指す。石田さんのような頼りがいのある機関長になるのが夢だ。

気仙沼の人たちは温かい。商店や旅館に顔を出せば「おかえり、今日はどうだった」と声を掛けてくれる。行きつけの漁業用品店は、出港の餞別(せんべつ)に缶コーヒーをケースごと贈ってくれた。「良くしてくれる人たちのためにも、漁師として経験を積み、気仙沼を漁業で盛り上げていきたい」

7日昼、瀬戸山さんは2度目の遠洋航海に出た。町は道路工事や公営住宅建設の真っ最中。11カ月の漁を終えて帰港する頃には風景が様変わりしているかもしれない。少しさみしくもあるが、復興が待ち遠しい。