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(写真・神奈川新聞社)

卓球に導かれ、夢の大舞台へ-。7日に開幕するリオデジャネイロ・パラリンピックの卓球女子知的障害者クラスに、鎌倉市の伊藤槙紀選手(31)が初出場する。中学から始めた競技は人との出会いをもたらし、いつしかかけがえのない居場所になった。メダルを狙う姿が、多くの人に勇気を与えている。

 

横浜市鶴見区にある練習場。数分間にわたるラリーを続けた末のミスに、伊藤選手は悔しそうに声を上げる。

 

専属コーチの中村孝太郎さん(65)は、その集中力とスタミナに太鼓判を押す。「練習でやったことを忘れないし、『疲れた』という言葉を聞いたことがない」

 

横浜で生まれ、父親の実家がある鎌倉市内へ。市立深沢中学校で卓球部に入った。

 

「『個人競技なら大丈夫じゃないか』と先生が受け入れてくれた。お昼と部活を楽しみに毎日通っていた」。授業はどれだけ理解していたか分からないけれど、と母享子さん(55)は笑う。

 

練習を嫌がったことはない。中学卒業後は特別支援学校に通い、民間のスクールで腕を磨いた。知的障害者の全国大会で中学3年で初めて優勝して以降、10回以上日本一に輝いている。

 

ルール変更を覚えるのに時間がかかるなど、障害の程度は決して軽くない。それでも、卓球を始めてボキャブラリーや会話が増え、ラリーをすれば互いに何となく打ち解けられる。「居場所を見つけたんだと思う」。練習後にコーチと笑い合う娘を、享子さんは優しく見つめた。

 

8年前の夏。北京五輪で活躍する憧れの福原愛選手らをテレビで見ていた。10代のころから数々の国際大会を経験してきた伊藤選手は「オリンピックって、いつもの大会と違うんだ」。「あなたが出るならパラリンピックだよ」。享子さんはそう答えた。4年に1度の特別な舞台を意識し、目標に据えた瞬間だった。

 

しかし、ロンドン大会(2012年)の出場を懸けたアジア選手権では惜しくも敗退。今年1月、日本人最高の世界ランク4位(現在は6位)となって初出場を決めた。

 

リオに向け、享子さんが働く障害者施設でも壮行会が開かれた。「頑張ってね」と入所者から握手を求められた。障害を不幸と決めつけ、否定する言葉が聞かれた今だからこそ、その姿がより輝きを増す。

 

「偶然出会った卓球に導かれ、いろんな人とつながってここまで来られた」。そう感謝する母の横で、「ライバルに勝ちたい。メダルを取る自信はある」と力強く答えた伊藤選手。初戦の8日は32歳の誕生日だ。

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