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「与那原のヒジキは肉厚だから時間をかけないと味が染みないの」と話し、特大しゃもじで具を混ぜ合わせる永山菊江さん=8日、八重瀬町当銘
(写真・琉球新報社)

生ヒジキにコンブ、煮干し、島ゴボウに大豆、ショウガ。大量の具材がシンメーナービの中で踊る。業務用の特大しゃもじで具材をかき混ぜるのは、八重瀬町当銘で長年、みそ加工所を営んできた永山菊江さん(82)だ。しょうゆと砂糖、みりんで具材を煮しめること1時間強。約40年、永山家の食卓に上る佃(つくだ)煮が出来上がった。

 

甘辛いたれが染みこんだ具をかみしめる。「おくちがおいしい、ほっぺがおいしい」。松谷みよ子さんの絵本の一文が浮かんだ。

 

「作っているうちに合いそうだと思うものを入れていくと、具が増えた。海と山の幸をうまく合体させたと思っているんだけど、味はどうね」と菊江さん。次女の平安名陽子さん(51)は「いつも目分量で調味料を足すのに、いつも同じ味になっている。不思議ですよね」と笑う。

 

菊江さんは20歳で安一さん(86)と結婚し、畜産と畑仕事に従事しながら、4人の子どもを育ててきた。食の知識に長(た)けた義母の教えを守り、家族の健康には人一倍気を配ってきた。みそや豆腐、玄米も一からこしらえ、マンゴーの実やキュウリはピクルスにした。豆腐やみその材料として大豆を常備していたため、佃煮は当時から頻繁に食卓に上がった。

 

手作りのみそが評判となり、地域で5年間指導員を務めたことも。その後、県農業改良普及センターの助言を受けて1987年、自身の名を冠した「菊みそ加工所」を設立した。

 

歴史や郷土芸能に造けいが深かった父に似て、向学心あふれる性格。高校進学を志したが、母親の反対で断念した。「悔しかったよ。なんで女にも学問させんかねーって。普及センターの指導員から製品開発を教わった時はね『ようやく勉強できるんだ』とうれしかった」と目を細める。

 

今も読書を楽しみ、毎日畑に出向く快活な生活を送るが、11年前にリウマチを患い、約2年間療養した。陽子さんに加工所を譲った直後のことだ。製法を習うため毎日訪ねて来る陽子さんを見かね、自ら加工所に出向いて助言するうち、体調が回復した。

 

加工所は陽子さんの代で洋菓子も販売するようになった。菊江さん譲りの製法で作ったみそ入りのシフォンケーキは、店の主力商品だ。孫で菓子職人の常瀧(つねよし)さん(30)も、7年前から製品開発に携わる。

 

「自分一代で終わると思っていた店を陽子が継ぎたいと言ってくれた。孫も店を大きくしてくれた。任せてよかったさー」。菊江さんはうれしそうに語りながら、ナービいっぱいの佃煮を、子や孫の家庭用にと小分けにしていく。陽子さんは「妊娠中つわりがひどかった時も、この佃煮だけは食べることができた。栄養をたっぷり取れたから子どもも病気知らず。3歳の孫も好物なんですよ」とほがらかに笑った。(文・新垣梨沙 写真・金城実倫)