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前田高地に立つ元米陸軍衛生兵のデズモンド・ドスさん=1995年6月25日、浦添市(當義弘さん提供)

 

日本各地で24日から上映されている映画「ハクソー・リッジ」の主人公として描かれ、沖縄戦で武器を持たずに負傷兵75人を救出した衛生兵デズモンド・ドスさん(2006年死去)が1995年6月に沖縄を訪れた際、琉球新報の取材に応じていた。浦添市前田高地の戦闘で負傷したドスさんは戦後5年半、陸軍病院で入院生活を送り、戦時中の夢を見続けるなど、心的外傷後ストレス障害(PTSD)のような症状に苦しんだことを明かした。「悪夢を見続けてきたが、今はもう見ない。自身の体験を語ることで克服することができた」と話していた。

 

ドスさんは取材時の95年は76歳だった。戦後に沖縄を訪れたのは69年に次いで2度目で、米陸軍の戦後50年記念行事などに参加するため、6月18日から28日まで11日間滞在した。

 

ドスさんは1945年4月、米陸軍第77師団第307歩兵連隊第1大隊B中隊の衛生兵として沖縄に上陸した。キリスト教セブンスデー・アドベンチスト教会の信者で、聖書の「十戒」にある「汝(なんじ)殺すことなかれ」を守るため、銃を携行せずに従軍することを条件に志願した。「戦場に行って、人を殺すのではなく助けに行くためだった」と理由を話した。5月5日、前田高地の丘に上がったドスさんらB中隊の兵士は予想以上の激しい戦闘に巻き込まれていった。

 

映画の題名になっている「ハクソー・リッジ(のこぎり崖)」とは浦添市の前田高地の切り立った崖を指す。映画のモデルとなったデズモンド・ドスさんは、45年5月5日に前田高地での戦闘に同行した。

 

所属していた米陸軍第77師団第第307歩兵連隊第1大隊B中隊の約150人は崖をよじ登って丘の上に立った。「頂上で仲間のために祈った。無事に戻ることができるようにと」と振り返った。

 

しかし丘の奥には日本軍が潜んでおり、機関銃などで激しい攻撃を受けた。このためB中隊は撤退を決める。兵士が次々と崖下に下りたが、自力で動けない負傷兵は取り残された。

 

このためドスさんは丘にとどまり、日本軍の攻撃が続く中、一人一人を崖の近くに移動し、足の根元と胸の辺りにロープを通して崖下に下ろす作業を4時間にわたって繰り返した。「母親が子どもをなりふり構わず救うのと同じ。夢中だった」と当時を思い起こす。

 

翌日の戦闘で、塹壕(ざんごう)にいたドスさんは日本軍から手りゅう弾を投げ入れられ、足を負傷した。さらに5時間後に担架で運ばれている時、日本軍の銃弾を左腕に浴びた。グアムの陸軍病院に移送され、その後結核になって、片方の肺も摘出した。

 

入院中のドスさんを襲ったのが、戦時の光景がよみがえる悪夢を見続けることだった。「眠れぬ日が続き、眠っても夢の中で爆弾が破裂して自分が死んだ。戦友たちも爆死した。なぜか戦場にいる私のところに母親が来て、目の前で爆弾で亡くなる夢も見た。途中で起きて、涙を流した。戦友たちの中に、精神的におかしくなってしまった人を知っている。今はもう悪夢を見ない。自身の体験を語ることで克服することができた」と振り返った。

 

沖縄滞在中、前田高地を4度訪れた。理由について「行くことによって当時を確認する。そこで自分が体験したことを把握し直したかった」と話していた。(松永勝利)

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