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SACO最終報告について振り返るウィリアム・ペリー氏=13日、沖縄県那覇市

 

米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先を「沖縄本島東海岸沖」と決定した1996年12月の日米特別行動委員会(SACO)最終報告を承認した当時の米国防長

 

官ウィリアム・ペリー氏(89)が13日、那覇市内で琉球新報などのインタビューに応じた。ペリー氏は移設先の決定要因は「安全保障上の観点でも、軍事上の理由でもない。政治的な背景が原因だった」と述べ、抑止力の観点から導き出したものではないことを示唆した。さらに「米国がここに移設しなさいと決定する権利はない。(移設先の決定には)日本政府の政治的な判断が大きく関わっている」と述べた。

 

ペリー氏はNHKのドキュメンタリー番組の撮影のため来県し、那覇市内でインタビューに応じた。

 

普天間飛行場の移設先について「普天間飛行場単体だけでみると必ずしも県内でなくても良い」と明言。一方で「ただ実際の米軍の運用は、海兵隊単独で動いているわけではない。海軍や空軍など他の部隊も関連し、非常に複雑だ」とし、これらの要因から最終的な解決先としてSACO合意に至ったと強調した。

 

抑止力については「日本全体の複数のロケーション(地域)で満たされるものだ。北朝鮮に対して普天間飛行場や嘉手納基地だけでは抑止力にはならない。抑止力を発揮するために必ずしも沖縄の基地が不可欠だというふうには思っていない」と述べ、在沖米軍基地のみで抑止力が担保されているわけでなく、県外の基地を含め在日米軍全体として発揮されるものだとした。

 

合意当初の「5〜7年後の返還」が実現していないことについて「非常に失望している。返還が実現していないことについては謝罪したい」と述べた。

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