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1959年6月に米軍那覇基地で起きた「ナイキ・ハーキュリーズ」の誤射事故について語るロバート・レプキー氏=米ウィスコンシン州

 

【ワシントン=座波幸代本紙特派員】1959年6月19日、米軍那覇飛行場に配備されていた地対空ミサイル「ナイキ・ハーキュリーズ」が核弾頭を搭載したまま、整備ミスによる点火で誤射を起こし、海に落下していた事故について、現場にいた元陸軍整備兵ロバート・レプキー氏(81)=米ウィスコンシン州在=が本紙の取材に証言した。同事故が起こる直前、部隊には「戦争」を意味する緊急事態の指令が流れ、誤射の後も、高性能爆薬を付けたもう1基を発射させようとしていたことが新たに分かった。

 

レプキー氏は9月にNHKが放映した「NHKスペシャル 沖縄と核」で同事故の詳細を初めて明らかにしている。同氏によると、誤射したミサイルには広島に落とされた原子爆弾と同規模の威力を持つ核弾頭が搭載されていた。もう1基の高性能爆薬搭載のミサイルは準備途中で指令が解除になった。誤射事故で兵士1人が即死、もう1人が1週間後に死亡した。

 

米国立公文書館の人事記録センター(ミズーリ州)に保管されているナイキ部隊の日報では、6月19日、兵士1人が「ナイキの点火により、死亡」と表記。大惨事につながりかねない事故だったが、米軍は詳細を一切公表せず、ミサイルは海中から極秘に回収された。部隊の日報には翌日以降も通常通りの任務が遂行されたことが記されている。

 

レプキー氏は当時、ミサイルの組み立てや整備を担当していた。事故後、国防総省や中央情報局(CIA)などの事故調査団から聴取を受け、事故は機密扱いであり、一切口外しないよう口止めされていた。

 

冷戦当時、米統治下の沖縄では1950年代半ばから72年の日本復帰まで、米軍の核兵器が大量に配備されていた。国防総省は2015年、復帰前の沖縄での核兵器保有を初めて公式に認めた。

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