「写真の少女は私」。15日付本紙社会面に掲載された米統治下の1952年に県内で撮影された写真に写っているとみられる人物が見つかり、探していた米大学生らが21日、本人と対面した。写真の少女とみられる人は、嘉手納町に住む新垣正子さん(74)。新垣さん宅を訪れた学生らは「写真に写る人たちにはどういった物語があるか、いつも考えていた。実際に会えて、とてもうれしい」と興奮が収まらない様子だった。
写真が撮影された52年は、新垣さんは8歳で、宜野湾市野嵩に住んでいた。小学校から戻ると、遊び相手を探し、よく近所を歩き回っていたという。写真には、新垣さんらしい少女が幼児を背負った姿が収められている。新垣さんは「近所の人から子守をよく任されたから、写真でおぶっている幼児もその一人だと思う」と話した。
写真の少女はきりっとした濃い眉毛に、気の強そうな表情でカメラをにらむようにして写っている。これには「当時はうーまくー(わんぱく)で、いつもこの表情だった」と語り、本人が所持する小学4年生ごろの写真を持ち出し「口元にあるほくろも一致するし、間違いなく私だと思う」と強調した。
写真は、52~53年に米軍医として読谷村のトリイ・ステーションに駐留していたチャールズ・ユージン・ゲイルさんが撮影したもの。ゲイルさんは県内各地で撮影した150枚の写真を残した。米カリフォルニア大学サンタ・クルーズ校は、2013年から米統治下の写真に写る人々の足跡をたどる「ゲイルプロジェクト」に取り組んでいる。プロジェクト始動から5年目にして初めて写真に写る人が見つかったという。大学3年生のジュリア・ジェンさん(21)は「新聞を通して初めて見つかり、メディアの力を実感した。今後はラジオやテレビでの発信もしていき、もっとたくさんの人たちを見つけたい」と意欲を見せた。
米国の学生らは帰国日の30日まで、引き続き写真に写る人たちを探している。写真はホームページ「gailproject」から見ることができる。情報提供はサンタクルーズ校カウエル・カレッジのアラン・クリスティ学長(日本語可)の電子メールachristy@ucsc.eduまで。