毒ガスの第1次移送時の(左から)屋良朝苗琉球政府主席、ランパート高等弁務官、高瀬侍郎沖縄大使=1971年1月13日、石川市(現うるま市)東恩納(国吉和夫氏撮影) 画像を見る

【中部】1971年7~9月に実施された米軍知花弾薬庫(現嘉手納弾薬庫地区)からの毒ガス兵器2次移送のため、日本政府が最終的に肩代わりした道路建設費20万ドル(約7200万円)について、米側が全額負担を検討していたことが分かった。米陸軍省の公電に記されていた。文書は71年2月12日付で、在沖米軍最高責任者のランパート高等弁務官が米国務省や駐日大使などに宛てた。米国民政府の一般資金を活用する案があった。我部政明琉球大名誉教授が文書を米公文書館から入手した。

 

米軍は63~65年、毒ガス兵器約1万3千トンを3回に分けて沖縄へ秘密裏に持ち込んだ。兵器の存在が明らかになると、71年に「レッド・ハット作戦」と称し、2度に分けて米領ジョンストン島へ移送した。13日で1次移送から50年。

 

1次移送では安全性を懸念する沿道住民から猛反発の声が上がった。2次移送の際、琉球政府は住宅地を極力避けるよう米側へ経路変更を求めた。米軍は1次移送の経路は安全と主張し、新たな道路建設の費用負担も拒絶していた。

 

今回の公電文書からは、米軍が非人道的な兵器に対する国際社会の目を意識し、費用を負担してでも早急に撤去を完了させたい姿勢が読み取れる。また、沖縄の日本への返還を目前に控え、琉球政府への全面支援を印象付けたい日本政府の思惑をくみ取った上、巧妙な交渉に臨んでいた過程も透けて見える。

 

ランパート高等弁務官は公電で既存経路の安全性を強調し、米国はすでに600万ドルを投じてジョンストン島に毒ガスを受け入れる施設を整備したことに触れ、これ以上の財政負担を避けるべきだとの見解を示していた。その上で代替経路が必要になれば日本政府に経費捻出を求めるべきだとし、「日本が全額20万ドルの負担を拒否した場合、半額の支払いを求め、残りは米国民政府の一般資金を活用する」案を提示した。その案も拒否された場合は米側が全額出すべきだとし、日本政府への提案を今後の交渉次第で模索する方針を記していた。弁務官の提案に陸軍省も、20万ドルの道路建設は「最高の買い物」だと賛同していた。

 

我部氏は、弁務官は譲歩をしてでも毒ガスの早期撤退をすることで、ジョンストン島の施設建設費を認めた米議会に対して、陸軍省の利益を守ることができると考えていたと分析する。さらに沖縄での政治的安定を取り戻すことが米国の利益につながることも見込んでいたと指摘した。

 

我部氏は「日米両政府は『沖縄のため』という建前の裏で、それぞれが自己利益を追求している。現在も含め日米のパワーバランスの構図は変わっていない」と指摘した。
(当銘千絵)

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