沖縄戦で犠牲になった学徒の事実を後世に伝える「全学徒隊の碑」 画像を見る

「経営の危機です」。6月上旬「ひめゆり平和祈念資料館」がネットで発したメッセージに対し、全国から多くの寄付が集まっている。6月20日現在、7429件、金額は3200万円を超えた。元ひめゆり学徒の手によって運営され、沖縄戦の悲劇と実相を伝えてきた資料館。新型コロナウイルスで来館者が減ったことによる「SOS」は、多くの人々の琴線に触れたようだ。しかし、76年前、多くの犠牲者を出した学徒は「ひめゆり」だけではない。90代となった元学徒たちは、記憶の継承の形を模索している。
(玉城江梨子)

 

21校に学徒隊

 

1984人ーー。糸満市摩文仁の平和祈念公園内にある「全学徒の碑」に刻まれている沖縄戦で命を落とした学徒の数だ。

 

戦前の沖縄には21の旧制師範学校(教員を養成する学校)、中等学校(現在の高校)があった。その全てから10代の若者が戦場に駆り出された。男子は徴兵年齢に満たない14~19歳が兵士として日本軍に動員され、上級生は鉄血勤皇隊に、下級生は通信隊に編成された。女子は15~19歳が看護要員として野戦病院などに配属された。

 

動員数については師範学校と第一中学校以外は諸説あるため、全学徒の死亡率を正確に割り出すのは難しいが、動員された男子学徒の約半数、女子学徒の3分の1が戦死したといわれている。

 

これら戦死者を弔うため、沖縄戦を生きのびた元学徒や同窓生、引率教師、遺族などによって戦後、学徒の慰霊塔が各地に建てられた。沖縄師範学校女子部と県立第一高等女学校の「ひめゆりの塔」もその一つだ。

 

「慰霊の日」には各学徒隊の慰霊塔の前で同窓会や遺族会などが主催する慰霊祭が行われてきた。名前は変わったが戦後も存続した県立第一中学校(現・首里高校)、県立第二中学校(現・那覇高校)、県立第三中学校(現・名護高校)などの慰霊祭には同窓会や遺族会のほか、学徒の後輩にあたる高校生たちも参列し、沖縄戦の記憶を継承する機会にもなっていた。

 

しかし、新型コロナウイルス感染防止のため、昨年に続き今年も規模を縮小することが決まっており、生徒の参加は生徒会役員だけになるなど制限される。ひめゆり平和祈念資料館の職員たちが中心となって執り行うひめゆりの塔慰霊祭も縮小する。新型コロナの影響は慰霊の場、沖縄戦継承の機会も直撃している。

 

他方、コロナ禍でも祈りを届ける方法を模索する動きもある。県立第二高等女学校の「白梅学徒隊」の戦没者などの名を刻む「白梅之塔」の慰霊祭は2年連続で、関係者を中心とした自主参拝となる。

 

そこでSNSでメッセージを募り、そのメッセージをカードに記し花を添えて、慰霊祭当日の参拝を代行する予定だ。「あなたのウムイ届けます~白梅ウムイ花プロジェクト~」と名付けられたこの取り組みは、白梅之塔慰霊祭の継続や、白梅学徒の戦争を語り継ぐために結成されたボランティアグループ「若梅会」が企画した。2019年にできたこの会は白梅同窓会の中山きく会長の強い思いからできたグループだ。

 

「後輩がいない」…90代になった語り部の不安

 

「一中や二中は高校がある。ひめゆりは資料館がある。だけど私たちには継いでくれる後輩がいない」。中山さんは以前からこんな不安を口にしていた。

 

沖縄戦当時、県立第二高等女学校の4年生。「補助看護婦」として野戦病院に配置され、悲惨な体験をし、多くの友人を失った。戦場を生き抜いた中山さんだが、多くの友人を失ったことから戦後、「生きているのが申し訳ない」と思い続けていた。

 

夫の仕事の関係で広島、長崎に住む機会があり、そこで被爆体験を語る被爆者たちの姿から「私も生かされた者として、白梅学徒隊の体験を後世に伝えよう」と白梅学徒隊の記録をまとめた。自らの戦争体験を語るようになったのは戦後50年たった頃だった。それ以降、精力的に証言活動をしてきた。この2年はコロナの影響で修学旅行の中止が相次いでいるため、講話の機会はぐっと減ったが、92歳となった今も、戦争体験を語り続けている。

 

そんな中山さんが気力、体力の衰えを感じ、「私たちがいなくなって同窓会が絶えてもいい。でも白梅の塔の慰霊祭と学徒の戦争体験はこれからも誰かが伝えていかないといけない」とこれまで交流してきた人たちに手紙を送ったのは2019年のことだ。

 

手紙には「体験者から『戦争の悲惨さと平和の大切さ』を継承された方々や若い方々によって、今後の『戦没者の慰霊供養と恒久平和を創る集い』の新しい方策を皆様方と共に創造して参りたい」と記した。

 

この思いに応えたメンバーが20代から50代の男女9人による「若梅会」だ。平和学習の講師やガイドをしたり、ワークショップなどを主催して白梅学徒隊の沖縄戦を語り継ぐ活動をしている。2019年6月の慰霊祭から運営に参加し、20年からは、白梅同窓会と白梅之塔慰霊祭協力会と共に「白梅継承の会」として白梅之塔慰霊祭を運営している。同窓会、協力会とも高齢化が進んでいるため、実働部分を担っている。

 

代表のいのうえちずさん(52)は講話活動のコーディネートなどを通じて10年以上中山さんと親交を深めてきた。「きくさんの情熱の種、平和を希求する気持ちを受け取った者として動かずにはいられなかった」と話す。

 

慰霊祭の運営、戦争体験を伝える「跡継ぎ」に、中山さんは「白梅同窓会の後輩だと思っている」と温かいまなざしを向ける。

 

体験者はあと何回来られるか

 

若梅会がこのほかに取り組もうとしているのが、白梅之塔に続く歩道の修繕だ。1951年8月に現在地に2代目の塔を建立以来、同窓会は少しずつ寄付を募り塔周辺を整備し、香炉・供花台、記銘碑の設置、階段や道路のコンクリート舗装などを行ってきた。

 

しかし、舗装から時間がたち、コンクリートの劣化が激しくなり破損箇所も出ている。数年前には同窓生の1人が段差に足を取られ、アキレス腱を切るけがをした。御影石が敷かれた供花台の前はくぼみができ、水がたまりつるつる滑るため、ここも高齢者にとって「怖い場所」になっている。車いすやつえを使用している元学徒や遺族もいる。高齢の元学徒や遺族にとって、この塔に来られるのは、あと数回しかないかもしれない。だからこそ「1日も早く安心して来られる場所にしたい」と若梅会は考えている。

 

ただしネックは修繕費用。白梅之塔を知る業者に依頼して良心的な価格を出してもらったが、それでも100万円を超えるため、自分たちの力だけでこれを実現するのは難しいと考え、クラウドファンディングを始めた。

 

今月18日に開かれたクラウドファンディング開始の記者会見。コロナ感染予防のためオンラインで参加した中山さんは「私たちも敷地内の道路劣化を感じていが、経費がかかるためどうしようか悩んでいた。若梅会がクラウドファンディングで費用を集めることを計画してくれたことに、心から感動している」と喜び、「白梅に思いを寄せてくださる人は県外にもたくさんいると思う。ご支援、ご協力をお願いしたい」と呼び掛けた。

 

戦争体験を語り継ぐ活動もしているいのうえ代表。「体験者の話を現代の感覚に置き換える『翻訳』をしながら伝えている。世代間ギャップを埋め、橋渡しをすることは私たちの世代だからこそできることだと思う」と話す。戦争体験の記憶の継承、SNSを使った慰霊のカタチーー。体験者がゼロになる「その日」を前にコロナ禍でも取り組みは続いている。

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