萩本欽一「もうお笑いはやらない。だって二郎さんがいないから」

投稿日: 2012年08月03日 00:00 JST

「二郎さんは日本一おかしいコメディアンでした。その二郎さんを、僕は”特等席”でずっと見ていたわけ。二郎さんはおかしいだけじゃなく、すごく居心地のいい人で『欽ちゃん』をとても愛してくれた。僕にとってすてきな先輩であり、兄貴だった。でも、そのことに気づいたのは二郎さんが亡くなってから……。だから、僕はとても間抜けな相棒なの(苦笑)」

コメディアン、俳優、歌手としても活躍した坂上二郎さんが脳梗塞のため死去したのは、’11年3月10日(享年76)。くしくも東日本大震災の前日だった。それから1年4カ月、500日余がたった。お笑いコンビ『コント55号』で相方を務めた萩本欽一さん(71)が、45年間連れ添った二郎さんとの秘話、今だから語れる思いを明かしてくれた。

「7歳年上の二郎さんとの出会いは、僕が21~22歳のころ。『コント55号』が誕生したのは、それから数年後の66年10月でした。このとき僕は、二郎さんといくつか約束した。『2人で夢を語らない』『ネタについて意見を言わない』『下ネタはやらない』『ダジャレもしない』、そして、『一緒に食事をしない』って」

“一緒に食事をしない”と言ったのは、プライベートで親しくなると、相手の欠点や気に入らないところが見えてくるから。それが積み重なると相手が嫌いになって「コンビをやめようか」ということにもなりかねないからだ。そのため、”仕事以外は別々”と決めたという。

「二郎さんと最初で最後の食事をしたのは、僕が50歳になったとき。お互い年を取ったし、『二郎さんと一度食事をしよう』と思って、新宿の中華料理店を予約して招待したの。奥さんの話では、二郎さんは『きょうは欽ちゃんと食事ができてすごく楽しかったし、幸せだった』と、とても喜んでいたそうです」

二郎さんは、’03年9月、ゴルフのプレー中に脳梗塞を発症。左半身にまひが残るも懸命のリハビリを経て、’04年6月、東京・明治座の舞台で復帰を果たした。それから6年たった’10年8月、脳梗塞を再発し、7カ月後に不帰の人になった。

「今、二郎さんのようなコメディアンはいないし、これから先も現れないと思うな。そんな二郎さんがいなくなって、改めてお笑いをするのは、二郎さんに失礼な気がしてね。はっきり言って、もう”お笑い”はやりたくない。お笑いをつくる仕事はしてもいいけど、自分でするのはいや。だって、もう二郎さんはいないんだもの」

この記事が気に入ったら
いいね!/ フォロ− しよう

WEB女性自身の最新の情報をお届けします。

あなたにオススメ

【注目アイテム】
「メスを使わない美容整形」コルギのパワーを自宅で!!
ジェニファー・ロペス、カイリー・ミノーグが「約20歳年下彼氏」を手に入れたワケ!
45歳、奇跡の美乳・原志保さんのボディを作るヒミツのグッズ公開!!
着るだけで、エステの効果がインナーに!!
可愛い47歳! 元CA佐藤亮子さんの大人気トラベルブランド

コラム・連載

もっと見る

女性自身チャンネル

もっと見る

スヒョン入隊前の心境を吐露!U-KISSみんなで乗り越える新曲2017.10.17

U-KISSが14枚目のシングル『FLY』をリリース! 4月にケビンが卒業して以降、5人体制で挑むはじめてのシングルは苦しいことを乗り越えて前に進もうというメッセージが込められている。楽曲、そしてリ...


ランキング