本田圭佑 ACミラン移籍の陰で最愛の祖父が急逝していた

投稿日: 2013年12月24日 00:00 JST

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14年1月からイタリア・ACミランに移籍することが決まったサッカー日本代表の本田圭佑選手(27)。ACミランは、本田がエースナンバーの「10番」を背負うことを発表。世界屈指のクラブチームであるこのチームで、アジア人選手の10番は初めてのことだ。

そこで本誌は、大阪府摂津市の祖父母宅を訪ねた。本田の両親は彼が小学校2年生のときに離婚しており、以降、本田と兄は父方の祖父母の家で育った。この日、応対してくれたのは母代わりとなり本田を育てた祖母・晶子さん(78)。2010年のW杯南アフリカ大会の際には、祖父・満さんが近所の飲食店で生中継を見守っていたが……。その満さんに話を聞きたいと記者が語ると、晶子さんはこう漏らした。

「おじいさんは、この4月に亡くなったんです。80歳でした。1月に心臓病で倒れて入院し、そのまま病院で亡くなってしまいました……」

 ‘13年3月末に本田は足の治療のため極秘帰国していた。そのため偶然にも祖父を見舞うことができ、葬儀にも立ち会えたという。

「圭佑は男なので、大声出して泣いたりはしませんでした。でも、陰では涙していたんじゃないかと思います。悲しかったはずです。何しろ、おじいちゃんは小さい頃から我が子のように可愛がって圭佑を育てましたから。圭佑も、そんなおじいちゃんが大好きでした」

 幼少期からサッカー好きでいつも外を駆け回っていた本田。そんな孫のことをおじいちゃんは応援し続けた。サッカーボールで他人の家の窓ガラスを割ると、そのたびに謝罪に回る日々。それでも『サッカーが好きなら、そっちの道を進めばいい』と本田を励まし、サッカーシューズやボールを買うためのお小遣いをあげていたという。

 本田には’12年秋に男児が誕生。健在だった満さんは“ひ孫”との対面も果たしていたという。’12年1月には、所属するロシア・CSKAモスクワからイタリア・ラツィオへの移籍が破談。年が明けた’13年に入ってからACミランと移籍交渉が始まったが、話はまとまらず難航していた。本田が祖父と最後の対面を果たしたのは、そんな時期だった。

「亡くなる直前、おじいちゃんはお見舞いに来た圭佑に向かって『サッカー、頑張れよ』と言っていました。今回、やっと移籍が決まって、おじいちゃんも喜んでいると思いますよ。ずっと、移籍がどうなるのか心配していましたからね……」

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