第76回 「日本は本当に治安がいい国なのか?」

投稿日: 2016年04月26日 17:00 JST

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4月某日 東京

いろんな国を旅しているわりには、危険な目にはあまり遭っていないほうだと思っていますが、それでも未だに忘れられない苦い思い出というのはいくつかあります。

イタリアでの画学生時代は本当に貧乏を絵に書いたような生活をしておりましたから、毎月郵便為替で届く僅かながらの母からの仕送りは大袈裟ですが、私の命をつなぐ大事なお金でした。しかし、ある日その為替を換金しにフィレンツェ市内の郵便局へ行き、代えてもらったお金を財布に入れて鞄にしまった直後に、後ろで列をなしていた3人の男女にいきなり体当たりをされて、鞄の中から財布を持ち去られてしまったのです。

私はそのお金で家の周りにあるいくつかの食料品店の溜まりに溜まったツケを返済し、未払いの為に止められている電気やガスなどのインフラも復帰させる予定でした。それ以前に、その仕送りが、母が頑張って稼いだお金なのだと思うと、諦め難い怒りが込み上げてきました。

私は立ち上がるとその男女を追って外へ向かって駆け出しました。何が何でも犯人を取っ捕まえてやろうという怨恨で飽和状態になっていたのです。しかし、とき既に遅し、その現場の一部始終を見ていたお婆さんから「今ちょうどそのバス停に停まっていたバスに乗って行ってしまったよ」と言われた時の落胆といったらありません。あの日は一日中フィレンツェの隅から隅までを歩き回って、一瞬見ただけでも脳裏に焼き付いた犯人の顔がどこかにないかと、絶望的な気持ちで過ごしました。

キューバのハバナでボランティア活動をしていた時も、旧市街を歩いていた時に風邪のためにかんだ鼻紙しか入っていない布製の肩掛け鞄を少年にひったくられそうになり、そのまま数メートル引きずられた事がありました。少年はその鞄を奪い取れないと判断した瞬間に一目散にその場から走り去りましたが、周りには沢山の人だかりができていたのに誰もその少年を追いかけたり捕まえようとはしません。私の肘も膝も引きずられて出来た傷で血だらけでしたが、同情を示してくれる人も居ませんでした。

経済制裁中の貧しいキューバの手助けになればとボランティアをしにやってきたのに、結局は同化するどころかやはり狙われる対象としか見られなかった自分を恥じ、傷つき、今でもあの時の心境を思い出すと苦々しい気持ちになります。キューバは社会主義国家ですから、たとえどんなに経済状況が不安定であっても、外国人に対して盗みなどのような行為を働く事は、国家的には許し難い犯罪と見なされて、もしあの少年が捕まっていたらどうなっていたかもわかりません。ただ、私には走り去って行く、少年の骨と皮だけのやせ細った後ろ姿が目に焼き付いてしまいました。実は被害者は私ではなく、金目のものを欲する気持ちを煽られた彼のほうだったんじゃないかと暫し感慨深くなりました。

フィレンツェでの盗難事件も周囲に居た人たちからの証言で、スペイン語を喋っていた移民だったということはわかったのですが、だとすると彼らは、留学という目的で小額であっても仕送りを受け取りながら海外で生活のできている私とは、次元の違う経済状況の中で生きているのかもしれないわけです。どんなタイプのものでも、盗みであろうと重犯罪であろうと、治安の悪さというのは、やはりそれを引き起こしてしまう個人の性質云々以前に、その人びとの暮らす国の政治や経済などのバックグラウンドのあり方に目を向けて、少なくともどうしてそうしてしまう人が現れるのかを熟考する必要はあります。

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高齢者が次々と〝影の犯罪〟に狙われている

2013年に2020年のオリンピック開催国が東京に決まった時、日本は歓喜しました。滝川クリステルさんのスピーチは話題になり、「お・も・て・な・し」という言葉がキーワードになりましたが、その時彼女は東京が世界でも屈指の、大都市でありながらも治安のいい場所、落とし物が持ち主に戻る場所、ということを提唱していたのも世界に大きなインパクトを与えました。

確かに世界的統計で見ても日本における犯罪率の低さは抜きん出ています。殺人やテロに視点を絞れば、これだけの人口のある国ではその発生率の低さは一目置かれて当然。かつて暮らしていたシカゴでは毎日誰かが銃で打たれて死んでいると言われていましたし、外へ出ると街路には数メートルおきにエマージェンシーベルが設置されていました。それを思うと日本はなんと暮らし易い国だろうと思わされます。

……が、先日1日だけ北海道の母の家を訪ねた私は、彼女が巻き込まれている、とある質の悪いトラブルの実態と直面しました。高齢の母には、どんな些細な事でも何か支出を強いられる時は、必ず私に連絡をしてくるようにと断ってはいたのですが、なかなか言いません。それでも彼女の言葉からそこはかとなく不透明なお金の動きがあるように察した私はいろいろと調べてみたのです。

そうしているうちに、細々とバイオリンを教えながら暮らす彼女の家には、なぜか2台の立派なコピー機が設置されていたり、来る度に新しい電話機が置かれてあったり、繋いでもいないインターネット利用料が口座から毎月電話回線とともに引き落とされていたり、ここ数年だけでも莫大な金額のお金をその電話を貸してくれている請負会社に支払っていた事が判明しました。

母曰く、ある日彼女の家に大手の通信事業会社を名乗る人物が現れて、それまでの古いシステムを一掃してもっと使い易い形のものにしましょうという類いの言葉で母を説得し、工事を入れ、気がついたらそのような請求が来るようになっていたというのです。この件では弁護士や消費者相談センターにも出向いてはみたものの、いろいろと埒があかず、そうこうしているうちに今に至ってしまったという事らしいのですが、調べてみると母と同様の電話機などのリース会社による詐欺被害に遭った人たちは決して少なくありません。

被害者弁護団まであるほどです。それどころか、その類いの詐欺は多種に及び、ネットで拾い出せるだけでも、クレジット被害、投資用マンション被害といった知能系詐欺被害の報告は数知れません。

高齢化が進み、老人のひとり暮らしなどが増えてくる現状を象徴するかのようなこういった“影の犯罪”は、きっとこれから益々増えていくでしょう。そして日本と同様の高齢化が進む他の先進国にもこういった犯罪が蔓延する可能性も考えられますが、私が暮らすイタリアの人たちは普段もありとあらゆる事、例えば人であれば家族以外の人間に対して猜疑心を抱くのは当たり前の民族ですから(という話をすると、「えっ、あの全面開放でフレンドリーそうな国民が!」と思う人も多いのですが……)、オレオレ詐欺や電話機リース詐欺が成功する可能性は低そうです。

掃除機一個購入するにも何十回も電器店に通い詰めて、店員を徹底的に疲弊させてからやっと購入するような性質が彼らにはあります。だから、「新しい電話の方が便利ですよ」なんて勧誘があってもあの国の爺さん婆さんであれば「いらん、必要ない、電話なんぞ通じれば古くてもいい」で終わってしまうわけです。

しかし、私の母のように自分が高齢化した事で、社会の進化に遅れているのではないか、本当はいろいろ便利になっているのに、自分だけそれを知らずにいるのではないか、という一抹の不安を抱いてしまうような人は、まさにそういった詐欺の恰好のターゲットになってしまうのだと思われます。

まだまだ走れる中古車の修理に何十年もお世話になっているディーラーのところへ持って行ったら、いきなり巧みな話術で何百万もする新車を買えと薦められ、勢いに負けて新車購入を承諾してはきたものの、帰ってよく考えたらやはり自分はそれほど車には乗らないし、それならまだ乗れそうな中古車を手放すのは惜しい気がして断りの電話を掛けたら、いきなり恐ろしい声色で怒鳴られてしまったと語る母。

男性との暮らしの経験がほとんどない母はその『怒鳴る男性の声』にすっかり萎縮し、しかも「娘さんはお金持ってるんでしょう、援助してもらったらどうですか」とまで言われる始末。それでも母は「もう年寄りだからどうしようもない」と自分の失態を諦めている節があります。そんな身内のトラブルの数々を拾い出して行くと、具体的治安の悪さはなくても、では日本が果たして国民にとって住み心地が良いのかと聞かれれば、肯定はし兼ねてしまいます。

前述したように、それぞれの国の犯罪はそれぞれの国の性質や国民の特徴などが、ストイックなまでに投影されていますが、確かにテロや殺人といった犯罪にくらべれば日本のこうした詐欺程度は泣き寝入りで済まされる事かもしれません。でも、落とした財布は手元に戻ってきても、別のところでは沢山の人たちが容赦ない金額の詐欺や悪徳セールスに遭っている。これも、一見平和な日本という国の現状であり、事態の深刻化に対して無関心でい続ける事はよりいっそう難しくなっていくのでしょう。

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ヤマザキマリ(漫画家・随筆家)

1967年東京都出身。17歳で絵画の勉強のためイタリアに渡り、国立フィレンツェ・アカデミア美術学院で、油絵と美術史を専攻。‘97年漫画家デビュー。『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞。著書に『国境のない生き方』(小学館)、『男性論』(文春新書)『スティーブ・ジョブズ』(講談社)『プリニウス』(とり・みきと共作 新潮社)など多数。シリア、ポルトガル、米国を経て現在はイタリア在住。平成27年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。平成29年イタリア共和国星勲章「コメンダトーレ」綬章。
 
公式サイト
https://www.thermariromari.com/

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