「三度消えかかった命の灯」喜びに満ちた待望の子育てがはじまるはずだった

投稿日: 2009年04月11日 00:00 JST

_dsc8752翔子さんが生まれたのは昭和60年6月12日。

「妊娠がわかってもホルモン注射を続け、心音がはっきりし、『もう大丈夫でしょう』と医師から言われたとき、足が震えるほどの喜びでいっぱいでした。42歳で私は子供を産むのだと、有頂天になっていました。とにかくあの頃の私は傲慢だったのです」

夫の裕さんとは能を通じて知り合い、結ばれた。出会ったのは泰子さんが30代の初めごろ。

「独身時代は、書だけではなく、短歌やお能などいろいろお稽古をしておりまして。私は喜多流だったのですが女性ですから、当時はプロにはなれなかったけれど、夫は観世流で幼いころから舞台を踏むほどの人。知人から『能をやっているのがいるよ』って紹介されたのがなれそめでした」

泰子さんは34歳で裕さんと結婚。何度か流産を繰り返し、不妊治療の末に42歳で出産した。帝王切開の麻酔から目覚めた泰子さんには、

喜びに満ちた待望の子育てがはじまるはずだった。

泰子さんの回想は続く。

「私はいま、翔子がどんなに迷子になったり、帰りが遅くなっても『翔子は大丈夫』という絶対的な信頼があるのです。それは翔子は危機をかいくぐってこの世に生を受けたからなのです。命の灯が何度も消されようとしたけれど、それでも生まれてきてくれた。ダメになるなら、あのときにダメになっているでしょう」

あのとき、というのは誕生前に、出産前にダウン症などの障害が診断できる羊水検査をはじめ、幾度か翔子さんは生命の危機に見舞われている。「もしも羊水検査を受けて障害が判明していたら、あのころの私ならおそらく掻爬していたと思うのです」

しかし、最初に受診した慶応病院では、順調に育っているのだから、とかかりつけ医院でのお産を勧められた。慶応でそのまま検診を継続していたら、年齢からいって検査を受けていたはずだった。

「けれどかかりつけのお医者様は『大丈夫、元気なお子さんですから』といわれ検査を進められなかったので、結局受けなかったのです」

 出産も予定外の連続。かかりつけ医からは42歳といっても体は若いからと、自然分娩を勧められた。

「私は結局怖くなってしまい、勝手にその病院を逃げ出し、里帰りをして、地元の産院で帝王切開をお願いしたのです」

 ところが担当医となった医者が、学会の都合で予定日より8日も早い手術日が決まった。さらに海外出張へ行っていて、立ち会えないはずの裕さんが手術に間に合わせ帰国してきた。第2、第3の奇跡である。

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