女性の心を持つ男性医 松田 豊 医師(54) Vol.3 取材1日目 生い立ちを語る

投稿日: 2010年05月21日 00:00 JST

Vol.3 取材1日目 生い立ちを語る

3月17日(水)13:00〜

13時を少し過ぎて、クリニックのドアを開けると少し緊張した面持ちの先生が出迎えてくれた。黒のブラウスに黒のパンツ。いつも来ているチャイナドレスのような白衣は脱いでいたが、カメラマンのリクエストに応えさらっと羽織った。
男性が苦手であり、クリニックに5人もの人間が来ることはないので、多少困惑していた様子であったが、室内を見学したいという取材者たちに付き添い、説明をして回った。
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「この待合室がメディカルカフェになればいいと思って」
診察後、先生は患者と待合室でお茶をすることもある。患者が一人の時もあれば、3人、4人と増えていくこともある。この場所で、同じ悩みを共有する者同士親しくなることもある。


「子供の頃は小説家になりたかった。諦めたのは30歳くらいの時。2作品くらい書いてみて自分には才能がないなと思った。でも今は臨床の場が自分の表現の場」
と語る。幼少の頃から読書が好きで大学も文学部に進んだ先生。翻訳家として成功したのにも関わらず37歳の時に医学部へ再入学した。
「昔から医者嫌いで。摂食障害になった時も病院へは行かなかった。その当時(20年前)は男の摂食障害なんてほとんどなかったからね」


「矛盾してるかもしれないけど、患者を無理に治してやろうとは思ってないんです。医者が治そうと思っても治せない場合もあるでしょ。力んで治せるんだったらそんな簡単なことはない。そんなことで治っているんだったらとっくに治ってるし、ここに来ないから(笑)力んで治そうと思った先生につくと患者さんは大変かもしれない。多いパターンが何回も通っても、良くならないと医者が不機嫌になるんです、治らないから。だから医者の前で演技をするようになるわけね。治っているような、よくなってますというような」

実際、嘘でも「薬を減らしてみようと思います」「具合はいいです」と言わないと医者が不機嫌になる場合が多い。だから患者は、本当の胸のうちを医師に語ることはできず、悪循環となっていく場合が多い。

「よく言えばそういう意思は使命感が強いんだろうけどね。治してやろうと言う。でもそれがあんまりよい方向にいかない、よくなったらここには来ないと思うんだけど」

確かにそうした使命感のある医師が担当になると、それが却って患者のプレッシャーになることもある。

image「私のやり方が万全ではないし、私がダメな患者さんもいると思う。だけどここに来る患者さんは本当の初診、つまり初めて精神科を受診する人は少ないんじゃないかと思います。何故なのかわからないけど……。最近ちょっと増えてきたかな。だいたい友達から紹介されて、もともとどこかに通っていてダメだからじゃあここに来てみれば、というパターンが多いですね。私は脱力系なのかも(笑)」

言葉を丁寧に選びながら、先生は冷静にこう自分を分析した。確かに他の病院であれば身構えてしまうところ、先生に会うのには変な緊張感がない。具合が悪いがクリニックに行けないとき、メールで辛いことを書きなぐって送ってもその日のうちに先生は返信をくれる。「それでも辛かったら明日おいで」そう優しく言ってくれるのが患者にとっては非常に有難い。いつも近くにいる感じがする。

「メールの文章は時間がなくて返事が書けないこともあるけど、ちゃんと読んでますとは伝えています。返信も『ああしなさい、こうしなさい』ではなく、『読んだよ』というほうが多いですけどね」

『ゆっくり休みなさい』という言葉を先生はほとんど使わない。
「休めるなら休んでいるよね。休めないから困るんであって。医者のくせに医者の文句言ってしまうけど、普通はすぐに『休みなさい』って言うんですよ。でも休めない状況ってあるじゃない? それがわかってないかなって……思うね」

素人は先入観で「頑張れ」と言ってはいけないという思い込みで言葉を選んでしまう。先生は「頑張れ」を言う/言わないではなく、患者との距離のとり方がうまい。優しさと冷静さを兼ね備えている。
「そこは私も謎なんだよね、なんでできるかっていうのが。人にあまり期待しない性格なのかもしれないね、私の記憶の限りでは。小さい頃からそうだったと思う。小さい頃、私は人に好かれるタイプではなかった。みんなと仲良く遊ぶタイプでもなかったし。客観的にいうと仲間外れみたいな感じだったんだけど、苦ではなかったね」

幼少の頃に仲間外れにされるということは、大人になってからもトラウマとなって残っている場合もある。
「両親から期待はあったかもしれないね。でももともとの素質と離れていたから私の方が諦めちゃった。基本的に私の両親は『みんなと仲良く男の子はたくましく』っていう感じだったから。逆に二つ上、学年は1つ上の姉は社交的で美人。彼女は私から見ても美人だったし、憧れの存在でした」
人と群れるということをしなかった幼少時代。本の世界にハマったのは小学校4年生の時だ。
「レミゼラブルの『ああ無情』を読んだのがきっかけ。文学、歴史、科学の本に没入していきましたね。けれど家には1冊も本がなかった。全て学校の図書館から借りていました。本を選べる直感というのがあったのかな。当時は図書館でこれだと思う本を見つけては読んでいましたから。中学2年の時、堀辰雄の『風立ちぬ』と決定的な出会いをします。これは今でも一番好きな小説です」
本を読むことで、知識は増え成績もほとんどが1番。でも友人付き合いはほとんどなかったという。
「あらかじめ本を読んで知識を得ていたから、授業で教わることも初耳ということがほとんどなかった。新しい知識もそれまで蓄積した知識に関連付けて探っていけるようになったから一度聞くだけで記憶できることが多かった。千葉大に入ってからも近代医療は解剖と病理学を中心に発達してきたからこうなんだということが歴史を知っていると言えるわけで。

話を子供の頃に戻すと、そうして本を読んでいくことで、一流大学に入って一流企業に勤めるのが幸せという世間の常識、そしてこれこそが幸せだと信じて疑わない両親とは気持ちが通じあえなかた。だから72年高校2年生の5月18日に家出したんです。何故日付まで覚えているかというと、5月15日が沖縄返還の日で、その日、学校が午後から休みになったんですね。それでその休みを使って喫茶店のウエイターのバイトを見つけてきたから。その3日後に家出をしたんです。はためにも嫌な親ならまだしも、ごくごく一般的な家庭でエリートコースを期待されただけ。でも親と一緒にいるのがすごく嫌だった。『死ぬ』という選択は全然思い浮かぶことはなくて、ただ親元から離れたいと思ったんです」

先生の父は地元の郵便局員、母は熊本の農家の娘。

「高2に上がる前の春休み、その頃が自分の中で一番不安定な時期だったと思う。入学してすぐに試験で400人中27番を取り、親は期待したと思う。でも一学期の中間でほぼ真ん中、夏休み明けはクラス43人中42番。高校や今ある環境に未練はなかった。むしろ未練って何?っていうくらいだったかもしれません。でも……姉に対しては少しあったかな。姉は私のよき理解者だと思っていたから」

そして家出をした5月18日から6月末まで喫茶店で働き、7月からはホストバーテン(主に水商売の女性相手のカウンターバーのバーテン)として 17時から翌6時まで働いた。家出をしたその日、夜を明かすためにたまたま目について入ったのが博多のピットイン。
「中洲の外れ、川の上に半分乗り出すように建っていた、深夜喫茶兼スナックバーのような場所」
以来、先生は頻繁に出入りするようになり、生涯の趣味であるダンスと出会うことになる。

image「高校時代は髪を伸ばしていたから女の人に見えることもあったし、家出中も年上のお姉さんたちにとても可愛がってもらいました。九州だから『九州男児たるもの』という風潮があったし、親もそれを望んでいたはずなんです。でも人に対して執着がない、そして好かれたいとも思わない。そう思うのは自分も枠が外れていることを知っていたから。枠が外れている人達を何人も知っていれば、そうした人を差別することもできないとは思うかな」
先生の姉も20年くらい水商売をしていた。二人で「あんな両親からよくこんな子供が生まれたよね」と話しあうこともある。
「水商売の仕事を一生続ける?って思った時に、もっと本を読んで勉強したいと思った。だから家出してから10カ月くらいで家に戻りました。一度退学処分になっていたので、編入試験(国語・英語・数学)を受けて戻りました。現代文の先生が私を拾ってくれた。高校に戻ってからは私は特別視されていたと思います」

家出をしていた時、先生はいくつかの恋をする。初体験もその時だった。
「ホモからの誘いはありましたが、私は受付ませんでした。ゲイの世界は宝塚の世界に似ていて『男が偉い』という世界。一方女性に対しては、いやらしいと思うよりもきれいだなと思うほうが多かった。これは小学生の時に女性の像や絵を見たときから感じていました。初体験は10歳上の、客としてきていた水商売の女性でした。その女性とも会話に違和感はなかった。辛いところは私には見せなかったけれど、でも大変なんだろうなとは感じました。この頃は楽しかったなという記憶が大きい」

40年近くも前の話なのに淀みなく話は続いた。
年代や日付までしっかりと覚えているのは、自身の記憶に強烈に焼き付いているからだろうか。

取材1日目を終えて

1日目の取材後、患者さんにも取材をしたいと先生に申し出たところ、取材後すぐに連絡を取ってくれ、次々に4人の患者さんの連絡先やプロフィールなどがメールで届いた。
返信をしないでいたら、翌日の朝(18日の10:25)、こんなメールが届いていた。
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昨日から,ライターとしての真代さんにたくさんメールを送ったけど,あなたは
わたしの患者でもあります。
「無理しないで」と言っても無理しないわけにはいかない状況なのだろうし,その
状況にわたしも一枚かんでいるわけだから,わたしがそんなことを言うのはマッ
チポンプとかワニの涙みたいなものだけど,苦しくなったらいつでも,取材では
なくて,来てください。愚痴を聞くくらいはいつでもお相手します。
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忙しい状況に私の頭も体もついていっていないことを見抜き、メールをくれたのが嬉しかった。医師としてなのか、松田豊という人間がそうさせるのか、いつも先回りをして心配をしてくれる。素直に辛いという話をしたらすぐにこんな返信がきた。

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お仕事のこと,これも昨日話したことだけど,
「医者は気安く『休め』と言うけど,休みたくても休めない状況もある」
この休みたくても休めない状況は,もちろんお金のために休めないこともあるけ
ど,その仕事が本人にとって,生きがいとは言わないまでも,存在理由の一つに
なっていて,無理に休ませることでかえって精神的に不安定になることもある,
という状況も含めてのことです。
真代さんの場合も,ライターの仕事が,自分の存在理由の一部,それで社会とつ
ながっているきずなのような意味があると思うので,お薬の力を借ながらでも,
この仕事を仕上げる方がプラスなのではないかと思ってます。
合間に上手に休みを入れながら,薬も上手に使いながら,やってみてください。
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シリーズ人間:女性の心を持つ男性医 松田 豊 医師 一覧

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