女性の心を持つ男性医 松田 豊 医師(54) Vol.4 取材2日目 大人になるということ・・・生い立ち②

投稿日: 2010年05月22日 00:00 JST

3月19日(金)20:00〜@クリニカアンジェラにて

17日の続きから。
家出の後、高校に戻った話から。

「もともと英語は好きだった。高校に入っていまひとつ興味が失せてしまって。高校に行きたくなかった理由のひとつでもあるんですけどね。高校に入った頃からフランス語に興味が湧いてきて。具体的にわかるのは堀辰雄にのめり込んで、あの人が読んだ本を自分で読んだ。ラディゲとか。もちろん日本語訳でだけど、それをフランス語の原文で読みたいと思ったんです。あの頃のイメージとしてフランスは革命とレジスタンス。文化としてヨーロッパに惹かれた。高校1年のときに自分でやってみようと思って勉強したんだけど、本格的にやったのは高校に戻ってから。今にしてもあの情熱は何だろうと思うほど1日5時間くらい勉強していたね。

大学試験はその頃センター試験はなくて外国語、国語、社会、理科、数学。外国語は大学によって、英語以外にフランス語、ドイツ語でもOKなところがあったんです。英語よりは簡単だとは言え、高1の学年末くらいのレベルだった。フランス語をやり始めてすぐ、これなら仕事にできるのでは? と思ったんです。割と早い段階からこれは意識してましたね。将来の夢はあんまりなくて、図書館のそばに小さなアパート借りて、なんでもいいからバイトをして本を読んで暮らせればいいかなと思ったんです(笑) すごく夢がなかったけど(笑)一時期人里離れたところで仕事するのもいいなと。お金儲けはもともと興味がなかったというか。夏目漱石を読んだりしていて普通の立身出世に背を向けていたところはありますね。夏目の作品の主人公って高等遊民というか、知識はあるけどお金はない。俗物の親を軽蔑しながら,お金を稼ぐすべをしらないから経済的には親に頼らざるを得ない。そんな主人公の心の動きに共感はしたけどこういう風にはなりなくない。軽蔑している人に頼りたくないなというのはあったんです。
もともと会社勤めができる性格ではなかったからそんなものに価値はないと(笑)手に届かないものは価値がないと思った(笑)」
翻訳というのは高校生にとって身近なものではなかったが、先生はとても身近にあった。
「外国文学に親しんでいたし、永井荷風の『珊瑚礁』とかを読んでいたから翻訳は身近にあった。本を訳するものだと思ってたんです。実際にしてわかったのは、それはごく一部でビジネスとしてやるのは研究所とか政府機関とかが、外国の論文や報告書を訳させる。産油国が「オイルマネー」を使って近代化を推し進めていて、日本の企業がプラント輸出に精を出していた時代です。
フランスの植民地だったアルジェリアという国があります。アルジェリアは産油国で、日本企業がアルジェリアにプラント輸出しており(工場を建設、技術指導し、現地のスタッフだけで工場を操業できるようにする)それに係わる書類や資料を、日本語からフランス語に翻訳していたのです。
運がいいことに理科は嫌いじゃなかった。特に化学が大好きだった。外国語を出来る人は文科系だから、外国語ができて理科もできるという人間はあまりいなかったんです。私もそこまで読んでたわけじゃないんだけど。フランス語で多かったのは原子力関係。知られていないけど、フランスは原子力大国なんです。日本もアメリカよりは盛んで。自慢話になるんだけど、私に指名がよく来るようになった。技術的なことがわかってるからミスも少なかったんでしょうね」
指と指をからませながら少し早口にしゃべった。自分の得意な話になるといつものゆっくりした調子とは打って変わりこちらが聞き取りにくいほど早口になることもある。北大を卒業した80年の11月、初めてアルジェリアに渡った。日本企業が建設したセメント工場で日本人技術指導者とアルジェリア人技術者の間の通訳として派遣された。月収は当時で40〜50万、宿舎、食事付き。月収はそっくり日本の口座に振り込まれ、現地での小づかいも4〜5万円あった。
「行ったのはいいけど、フランス語にも自信があったし、理科もある程度わかると思ってた。しかし現場の専門用語がさっぱりわからず、こんなはずじゃなかったと思って1年契約のところを半年で帰ってきたんです。今にして思えば他の人もどうやら同じレベルだったらしい(笑)私一人ができないと落ち込んでしまい。ほとんどが30歳すぎの人で私のような20代は一人だった。その時一緒にいた人に『自動車の構造の勉強をしたらいいよ』とアドバイスを受けた。自動車1台には近代工学のすべてがある。だから帰ってきて工業高校の教科書を何冊か買い込みました。日本で仕事をするんでもそういうことはわかっておいたほうがいいなと。幸い理科はできるから、工業技術を勉強したら仕事につながるだろうと」
アルジェリアの生活はどうだったのだろうか。
「アラブ圏なんだよね。男女別の世界。町を歩いている人はアラブ人だけど、街は地中海というかフランス。ブドウ畑と牧草地。そういうところで。日本人が30人くらいいて、アパートをいくつか借り切ってきてコックさんもいて、個室が与えられていた。そこからはほとんど出ず、たまに本やに行くくらい。現地の人との付き合いは全くなかった。お酒も禁酒県にいたので、隣の県に行って買わなくてはいけない。私は飲めなかったけどね」

「高校時代、フランス語はできる、英語は3、数学はできず、理科は物理以外できた、社会はできた、歴史は特に。国語は古文が苦手だったけど4くらい。大学どこに行こうかと思ったときに親が『私立は行かせられない』と。姉は高校行かずに銀行で働いていた。そんな家庭の中で私立には行けないと。国公立で、まず外国語でフランスがあるところ。横浜市立大学を発見したんです。外国語、国語、社会、理科で、だったらと(笑)絶対に受かると、模擬試験をやってみたら9割出たんですよ。そこだけ出願したら、倍率が一定を超えると内申書で足切りしますと書いてあって。それで足切りされたんです。まぁ見たら英語は3で数学は2でしょ。平均見たら3くらいしかならなくて。そのときはどうしようかと思いましたね。浪人はする気はなかったし。一晩考えて、フランス語をやりたいし専門学校に行こうと。親に行ったらまぁ頑張れと。大学に行ったつもりで4年は仕送りしてやると言われて。アテネフランセでは生のフランス語を初めて聞いた場所です。2月の半ばには東京に来ていましたね」
吉祥寺の3畳一間図書館の近くの部屋を見つけて、まさに描いていた通りの生活を送ることになった。アテネフランセは年上の人が多く、将来の夢を話したら『大学に行った方がいい』と勧められ大学を再受験することを決意する。そこでまた科目を研究し、北大を選んだ。
「私が出てきた年に新幹線が開通したんです。こりゃまずいなと(笑)親が来ちゃうかもしれないと(笑)博多から7時間くらいかな。北海道に行ったときは開放感がありましたね」
こうして見ると少年時代から、先生は非常に合理的である。何点取れば大丈夫という冷静な判断をその頃からしている。
「緊張は……しなかった…ね。私は基本的に100%の力を出さなければならないことには挑まないんです。8割でできる目標を設定する。危ない橋は渡らない。問題集も2日で終えられると思っても、1週間くらいの期限を設定する。余裕を持って、無理はしない主義」
はたから見れば高校時代にフランス語を勉強したり、専門学校に行きながら大学受験の勉強をしたりするのは、自分を追い込んでいるように思える。
「基本的に好きなことだからね。今から思うとあの情熱は何なんだろうなとは思う。親への反抗心も多少はあったんだろうね。それだけなのかなぁ。今から振り返るとよくやれたなと思う。言葉そのものが面白かったんだよね。今でも言葉の勉強は楽しいと思う」

東京にいた頃、何か美味しいバイトはないかなと思って探していたら雪印のアイス倉庫の夜勤当直バイトがあったんです。夜中に冷凍庫の温度を見に行ってマイナス20℃以上なら知らせに行くというバイト。月給3万、寝泊まりできたんで十分暮らしていけた。その時はもう仕送りはいらないと言っていて、その時は大学に行こうと思っていたから『入ったら4年間お願いします』と言っていた。親に北大を受けると言ったとき『もっと近いところはないのか?』と聞かれました。私は『ない』と答えましたけど(笑)言いとおしましたね」
時折、周りに笑いを与えるためにお茶目になる。決して自分を卑下することはないが。
「アテネフランセで東大仏文科の人がいたんですが『ああこんなもんか』っていう程度だった。唯一認めていたのは上智。だから大学では仏文以外のことを学ぼうと思った。フランス語は自分でできるからと」

image北大に入学した1976年当時、すすきのにはディスコと呼ばれる場所が何十軒かあった。「東京では夜のバイトをしていて踊りに行けなかったからね。北海道時代は千葉大のときよりも楽しかった思い出があります。若かったからかな。ダンスは週に1回から2回。1回1000円くらいで食事もバイキングでできたかな。ダンスは東京も北海道も一緒かな。中洲のピットインで出会った人よりうまい人が他のどこへ行ってもいなかったから。それは私の記憶が美化しているのかもしれないけど。どうしてもなじめなかったのがみんなが同じステップを踊るということ」

「ピットインでどうやって踊ればいいかと聞いたら『腰と肩でリズムを取ればあとは自由でいい』と教わった」
そういうと今まで座っていた椅子から立ち上がり、実際にリズムを取る方法を実践してくれた。
「リズムが取れるようになったらあとは手足を自由に動かす」
今にも踊りそうなほど、リズムを取る先生は楽しそうだ。
「70年代のディスコには通いながらも違和感を感じていました。もうピットインみたいな場所には二度と出会えないんだろうなと思います。ジャクソン5のデビューが71年なんだよね。これは時々話すけれども私のダンス歴とマイケルの経歴が一致しているんだよね」
先生に「もしかしてアフロだった時代もある?」と聞くと
「いやいや私は。私は今と同じ。ずっと同じ髪型ですよ」と否定をした。髪型を何十年も変えないという点も、自分の軸やスタイルを曲げないというところにつながるのだろう。



親からも離れ、好きなダンスもできていた北大時代、先生は摂食障害になる。その経緯を先生は高校時代から振り返りながらこう話した。
「家出から帰ってきた直後、風呂上がりの上半身裸の背中を姉が見て『もう女物が似合う体じゃないね』と言われたんです。その頃も細かったけどね。確かに女物が入らなくなるのかなと。あの当時実際に、一時期女物が入らなくなった。肩幅が合わなくなったんです。男物着なきゃダメなんだ。男にならなくちゃいけないんだと思わされた出来事でした。高校生の頃、家出していたころ無理して女性ものの24.5センチを履いていたんです。戻ってきた頃は諦めて男物を履いていましたけど。でも今は女物の服も着れるし、靴も女性用の24.5がぴったり。これは昔に比べて女性物のサイズが大きくなったからだと思うけど。サイズは同じでも実際の寸法が変わっているんですね。今は7号か9号」
女性物が着れなくなったことは先生にとってショックだった?と聞くと、「ショックでしたね」と即答した。
「それがやはり根底にあるんだと思う。『男にならなきゃダメなんだな』と16、17はかわいいかわいいと言われ、20歳を過ぎるとかわいいだけではダメで。今だって20歳を過ぎてもかわいいと呼ばれる人もいるからよかったのかもしれないけど、その頃は大人にならなきゃいけないのかなと思って。大人の女にはなれないから、大人の男にならなくちゃいけないのかなという不安定感があったのかなと思うんだよね。
あとひとつきっかけになる事件があって、大学2年生か3年生の春休み、私副鼻腔炎の手術で3週間くらい入院してた。その時暇なものだから、売店でお菓子を買って食べていたの。そしたら3週間で2キロくらい太ったの。帰ったらジーンズが入らない。それで一生懸命やせなきゃと思うようになった。それでウエストを絞ったのが大学3年生の春。本当はそうでもないんだろうけどね。体重よりもウエストが入らないということのほうが嫌だった」
当時のジーンズのサイズは27インチ。計測したりはしなかったが、ジーンズショップで店員に「え? 27ですか!?」と言われるのが嬉しかったという。
「高校に入った頃は26だった。ところが、26インチというのがなくなっちゃったのね。たまに男物のスラックスを買うんだけど68センチを買ったんだけどそれもなくなって71センチしかなくて。女物を着れないと思いこんでいたから。華奢な体に愛着があって、がっちりしてる体は自分の中で魅力がなかった。『細いね』って言われたかった」
『細いね』と言われて嬉しいのは女性の感覚のような気がする。痩せる、細い自分を意識していると
「気持ちはわかるんだよね」と言葉をかぶせる
「いきんで治せるものじゃないってことはわかるんだよね。じゃあ何もしないかっていうと何もしなきゃこないんだと思う。無理に治そうと思うんではなく、そばに寄り添ってあげる。たぶんそれがいいん、だろうね。時々思うんだけど、患者って究極に考えるとバカじゃないと思うのね。自分にとってプラスじゃなかったらこないと思うの。だから来てくれる人は何かプラスになってるんだと、開き直っているけどね(笑)」

結果として摂食障害は依存なのだろうか?
「そうですね。愛されたいが根本にある。褒められたい。あらゆる依存は人への依存の変形だと言われていて。確かに正しいなと思う。ギャンブルもアルコールも。人に依存できないから違うものに走る。女はまだ依存しやすいんだよね。社会的にも許される。だけど男はそうじゃない。と思ってる。だから依存症はもともと男に多いんだよね。アルコールもギャンブルも薬物も。男の病気だと言われていた。女の依存が出てきたのは、かわいい、愛されたいという文化がありながら一方で自立することを求められて、依存しているだけではダメなんだという背景もあるのかもしれない」

九州男児で華奢だと言われるのはマイナスであるのに、それが心地よい自分に対して悩むということはなかったのかと聞くとこれにも「それはなかったですね」と即答した。他人のこと、客観的なことは丁寧に言葉を選ぶのに、自分のことは明確な軸があるからなのだろう。
「素直に華奢だと言われることは嬉しかった。ただ姉と同じものを共有したという記憶はないんだよね。今考えると不思議な気はするけどね。それはしなかったね。男は男、女は女という意識があったのかもしれない」

女性に同化しようと思ったことはない?
少し考えながら「それは微妙なんだよね……。自分でもまだ分析しきれていないんだけど。これはあるんだよね。セックスの話だけど、セックスは気持ちいいもの。性転換手術をすると射精のエクスタシーはなくなるわけで。じゃあ女のエクスタシーを得られるかと言ったら得られないんですね。最近は亀頭の部分の神経をつないでクリトリスのようなものを作ってという手術もあるんだけど、膣の快感は絶対に作れないんです。それは私にとって寂しいことだったの」
そして
「女性は私の体が男であることを喜んでくれたんです」と言い切った。
「この体のままでいようと。単純に抱かれ心地の問題。ごつごつした体よりもやわらかい体に抱かれたい。女性の体って皮下脂肪のやわらかさ、肌のきめこまかさがある」

「一度男性との経験はあるんです。ゲイバーで一度働いたことがあってそのゲイバーのママに誘われた。心地よくなかった。実際男性から口説かれたこともありますけどね」
まさにシスターボーイと呼ぶにふさわしい。
女性は中性的な内面と男性の体が好きだったということなのだろう。
「10代は多少悩んでいて、自分の内面は女っぽいってわかってたけど、女が好き。一見正常だけどねじれてる。女に生まれついていたら単純にレズビアンと言えるのに。性同一性障害かと言われると、この定義は障害だから、生活に支障があることが前提なんだよね。困ってる。今の私はない。だからGIDというのは人工的な概念で。あえて病人にしたてる必要はない、と私は思う」

自分が男であること、女であることを受け入れられないというのと、男が好きか女が好きかというのは違う。
「ゲイの世界は男が好き。男に愛されるために女の体にしたいけど、本当に男の体が嫌いかと言えばそうではないと思う。知っているからこそその細かい違いがわかる。逆にここに来ている人で射精をすることが許せない、生理が許せないというのはかなり違うんですよね」

「MTFでホルモン注射をしている人が多くいうのは朝勃起しなくなったのが一番嬉しいというんだよね。快感でないのかもしれないし、快感を得てしまう自分がイヤなのかもしれない。肉体的には気もちいいかもしれないけど、それが許せないのかもしれない。本人に聞けば気持ちよくないとこたえると思う。どちらなのかは本人にしかわからない。毎朝勃起するほうが自分にとってダメージだった。胸がふくらむよりも勃起しないほうが嬉しいと言います」

「英語のGID、ジェンダー・アイデンティティ・ディスオーダーよりも日本語の性同一性障害のほうがいいと思ってるんです。ジェンダーとセックスというのは、ジェンダーは文化的概念が入っている。男らしさ、女らしさという文化概念なんですよね。少なくても私が接しているのは、文化的というよりも体、それはセックス、生物学的なレベルなんですね。トランスジェンダーではなくトランスセクシャル。逆にGIDを性同一性障害と訳するのを誤訳だという人がいるけど、日本語のほうが正しいと思う。体への違和感なんですよね。体への違和感、生理がくることなどに嫌悪感がないけど、女らしくするのはダメという人は性同一性障害とは診断しない。それよりも生きやすい環境を見つけなさいよと。今はそれが可能だから。
診断基準にあってるかは気にしてないけど、私はそういう基準で判断してる。それは正しいと思うんですよね……」

ホルモンを打つまでもない人は?
「FTMの人で二人くらい。男になりたいわけじゃないけど、女でいることにもなじめない。体を特に変えたい、胸はないほうがいいけど、性器はこのままでいいと。隠せるからという人は2〜3人いましたね。セックスはその人は……どっちでもいい。バイというか、その人がどういう人かということ。MTFでそういう人は私はまだ見たことない」

「ジェンダーの話になるけど、女の人にもいろいろあるけれど、女は主婦もできるし、キャリアウーマンもできるよね。けど男性はそうはいかないことが多い。本人が腹をくくれば女性のほうが生きやすいかもしれない。男性は制限されてしまう、越えられない壁があるのかもしれない。その分でつまづいてしまう。強制される自分の体というのがある。男の体だから許されないというのがあるのかもしれない。ジェンダーとセックスというのは、一緒に見ないと議論できないこともある。常にどっちだとわけるのは不毛な議論かもしれないな……」

「MTFでニューハーフの仕事している人はひとりふたり。あとは普通の仕事。売りにしている人はここに来る人はあまりいない。FTMの人もあまりいないかな」

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