虐殺、震災を経験“ルワンダの福島県人”の復興活動

投稿日: 2014年03月08日 07:00 JST

2月初旬、福島市立平野小学校で「国際交流」出前授業が開かれた。招かれたルワンダ出身のカンベンガ・マリールイズさん(48)は、鮮やかな黄色と赤色の民族衣装に身を包み、流暢な日本語で話した。

 

「私は20年前から福島に住んでいます。みなさん、福島のことならなんでも私に聞くといいと思いますよ。みなさんの家には水道がありますか?世界には水道がない人もたくさん、たくさんいるのです。一生懸命勉強して世界の人たちを助けられるような人になってほしいと思います」

 

ルイズさんが体験した内戦に話が及ぶ。1994年4月、ルワンダで勃発した民族間の争いによって、100日間で100万人もの命が奪われた。うち40万人が子どもだったとも。危険にさらされたルイズさんの家族を救い出したのは、福島の人々。「よく生きていてくれた」と温かく迎えてくれた。ルイズさんは、子どもたちと福島の未来を考える。

 

「福島によって私は生まれ変わりました。その福島のお役に立てることをしたい」

 

1965年10月2日、父の赴任先のコンゴ共和国に生まれ、ルワンダで育ったルイズさん。小学校の歴史の授業で広島や長崎の原爆のことを学び「放射能を浴びて多くの子どもたちが病気になり亡くなったと知って泣きました」。

 

成績優秀だったルイズさんは学校の先生の勧めもあり、洋裁学校で学び、卒業前に国家試験を受け教員になった。1984年、19歳で首都キガリ市の専門学校で洋裁を教え始める。結婚し、3人の子どもにも恵まれた。そんなルイズさんに大きな転機が訪れる。ルイズさんの働く学校は、ルワンダに技術を伝える日本のJICA(ジャイカ・国際協力機構)の青年海外協力隊と6年間、洋裁分野で協力関係にあった。その縁で福島文化学園の技術研究生として推薦してくれた。

 

家族の後押しもあって、1993年4月、単身日本へ。成田空港では、初めての動く歩道にエスカレーター。怖くて「決死の覚悟で乗った」。新幹線は「飛んでいました」。そして初めて「日本の土」を踏んだのは福島県の郡山に着いてから。

 

ホームステイ先の五十嵐さん一家はルイズさんを「家族として」受け入れた。“お父さん”に“お母さん”、それに6歳上の喜美子さんは実の姉のように同じ部屋に寝て、一緒に家事もした。ルイズさんを感動させたのは当時79歳だった喜美子さんの祖母ウタさんが新聞を読んでいたこと。昼間は“お父さん”のクルマの送迎で日本語学校に通い、夜はコタツで日本語の特訓。高等教育を受けていたウタさんは新聞を使った手作りの問題を用意。絵を描いて日本の習慣も教えたくれた。

 

「全国で通じるように、福島弁を封印して標準語で話してくれました」

 

“ウタ先生”の特訓の成果で、ルイズさんは2カ月で日常会話に困らなくなった。日本語学校の先生も驚く上達ぶり。五十嵐家のことを「私の実家」とルイズさんは言う。研修先ではさまざまな洋裁の技術を学んだ。

 

1994年2月、10カ月余りの福島での研修を終えルイズさんはルワンダに帰国。それから2ヶ月後の4月6日、子どもたちと夕食をとっていると、爆弾のすさまじい炸裂音がした。電灯は消え、何が起きたかわからない。電話は通じていた。「ルイズ、大丈夫?大丈夫なの?」福島の五十嵐喜美子さんから安否を気遣う深夜の電話だった。その電話でフツ族のルワンダの大統領が殺されて、国全体が大変なことになっていることを初めて知らされた。

 

家の中で身を潜めること2週間。内戦は激しくなり、隣の家にもバンバン爆弾が落ちた。その後、隣の一家9人は虐殺された。ラジオは外出禁止と言っていたが、家にいては危険だ。子どもたちを連れて家を出た。4月に家を出て偶然夫とも会うことができた。

 

国境を越えコンゴの「ゴマ難民キャンプ」についたのは7月。奇跡的に助かったことを福島のホームステイ先に知らせようと、ボランティア団体が持っているインマルサット(太陽光発電の衛星通信)に並んだ。手には「たすけてください」とひらがなで書かれたファックス用紙が。

 

ファックスを受けた福島の人々は「ルイズ一家を救う会」を結成。友人たちがお金を出しあい、集まった資金を難民キャンプ取材の新聞記者に託した。議員に働きかけ、ケニアのナイロビまで迎えに行った。

 

「何よりもうれしかったのは、私たち家族全員が生きることを、福島のみんなが望んでくれたこと」

 

2011年3月11日。ルイズさんは、確定申告で福島駅前のビルの中にいた。ビル全体が倒れてくる、もう終わりだと思った。3日目にようやく家の電気がつく。テレビからは放射能のニュースが流れた。

 

「無用の外出禁止。この言葉は嫌いです。ルワンダと同じ。外に出ないでください。内戦もそんなアナウンスからだった」

 

ルイズさんにも大使館から避難勧告がきた。外国人が安全なところに避難し、残されたものが感じる不安や恐怖。ルワンダでそんな感情を味わっているルイズさんは、福島にとどまった。

 

「私は逃げません。お世話になった福島の人を置いていくことはできません」

 

震災発生から27日目には、ルワンダ・コーヒー、紅茶や手作りクッキーを持って福島県内の避難所を見舞った。

 

「難民キャンプで、人が訪ねてくれたとき、私のことを考えてくれる人がいるんだな。1人じゃないんだなあって。すごく勇気が出た。だから私も行かなくてはならないのです」

 

2月中旬、80cmを超える大雪が降った日、ルイズさんは福島県二本松市赤井沢にある浪江町民のための仮設住宅を訪れていた。月1回、この仮設訪問は欠かしたことがない。

 

福島とルワンダ、2つをつなぐ懸け橋になりたい。ルイズさんは日本国籍を取得した。日本名は永遠瑠(とわり)マリールイズ。永遠にルワンダを忘れない。「私は福島で新しい命をもらいました。これからもここで生きていきます」

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