芸者からフラワーデザイナーに…成功の鍵は“母性”

投稿日: 2014年05月24日 07:00 JST

‘08年のサミットや’13年、安部首相が主催したAPECの夕食会でもフラワーディスプレーを手がけるなど、お花を通じた“おもてなし”に貢献してきた花千代さん(50)。映画やCM、雑誌などでも活躍するフラワーデザイナーだ。

 

かつて、彼女は「千代菊」と呼ばれる新橋の売れっ子芸者だった。12年間のトップ芸者としての生活から、フランス留学を経てフラワーデザイナーへと転身。現在は、アメリカ人のご主人との間に6人の子供がいる生活と聞けば、華麗な半生を思い浮かべるが、花千代さん自身はこう言う。

 

「神様はプラスマイナスをゼロにしてくれるのかも。今のように大家族に囲まれることを予測して、わざわざ子供のころに孤独なステージを用意してくれていたのかもしれません」

 

孤独のステージとは、両親の不和と、その後に父と母に「捨てられた」10代の日々を意味する。「母の愛情を感じないで育った私には“母性”がないと思っていました」と、本名・斉藤由美子さんは言う。由美子さんは1964年、神奈川県横浜市で、自動車販売業の父親と専業主婦の母親の間に一人娘として誕生した。

 

「ケンカが絶えない両親でした。母が父に殴られた勢いで仲裁に入った私まで突き飛ばされたりも。父は、習い事をするときも『隣の○○ちゃんがやっているから』では絶対許さない人。物事を自主的に進める父とは対照的に、母はその場で好きに生きるタイプで、まるで両極端でしたね」

 

その後、由美子さんが12歳のときに、父親はなんと母親の妹とともに家を出る。自殺未遂をした母親もまた、予告なく彼女の前から消えた。母親から連絡がきたのは3年後だった。母方の祖母が茨城から上京し同居生活が始まったが、心労がたたり、結局祖母は茨城に帰った。由美子さんは14歳にして一人暮らしを始めた。生活費は月に2、3回、父から渡してもらった。

 

高校に進学すると、お茶や着物などに興味を持ち始め、高1で茶道を始める。1年ほどしたとき、たまたま『東をどり』の切符を親戚から入手した。東京・新橋の芸者らが毎年、新橋演舞場で踊りを披露する伝統の催し。由美子さんは、その伝統美を受け継ぐ舞台に圧倒された。高校卒業後に一度は金融機関に就職したが、10カ月後に退社。そのまま芸者の世界に飛び込んだ。千代田という置屋の屋号にちなんで「千代菊」と命名された。

 

‘85年、20歳で晴れて芸者となった。バブル全盛で、政治もビジネスも料亭で行われていた時代だ。お座敷には首相経験者、財界トップ、芸能人や海外VIPの顔もあった。一晩で1千万円を使う客もいた。各界トップたちとの一流の食、遊び、会話。そして、お座敷を通じて自分の中の母性に気づいた。

 

「母性というのは、母親が子に対する感情だけでなく、計算ずくでない、包み込む愛情を注ぐことだとわかったんです。もちろん芸者の仕事は計算がなくてはできませんが、そればかりじゃお客さんは付きません。母性をもってお座敷に出ると、企業のトップさえ、かわいいと思うことがありました。そう思えるようになったとき、たまに連絡をよこすようになっていた母を許していました」

 

当時130人ほどいた新橋芸者のなかでも、3本の指にはいる売れっ子となっていた千代菊さんだったが、12年間いた芸者の世界からあっさり身を引いてしまう。

 

「海外のお客さまのお話を聞いて、外の世界を知れば知るほど、自分は井の中の蛙だと思うようになったんです。同時にバブルがはじけて、お座敷にカラオケが持ち込まれるなど、芸への興味が薄れてきたのを感じました」

 

こうして千代菊から斉藤由美子に戻り、フランス留学に踏み切った。32歳だった。芸者時代の人脈で紹介されていた「ロシニョール」のマダムに、あるとき「日本式のティーセレモニーを」と依頼を受ける。その会場で、世界的なフラワーデザイナーであるマダム・ゴーチェの飾りつけに心奪われた。「デザイナーのフィルターを通せば、花ってこんな表現ができるんだ」と、この道に進もうと瞬時に決めていた。

 

フラワースクールへ2年間、卒業後1年間はショップで研修を重ね、フランスのフラワーデザインの国家資格を取得した。’00年に帰国後、すぐに資本金300万円で有限会社を設立。社員は由美子さん一人だった。このとき、会社に付けた名前が「花千代」だ。そして起業から2年。北海道の洞爺湖畔にあるザ・ウィンザーホテルでの仕事のチャンスに恵まれる。

 

「そんな一流の場所に私が、って思いましたよ。プレゼンにもうかがいましたが、『パリから帰って1年半』なんて言っても、正直、お花はほとんど素人でしたから(笑)。採用になったときは驚きましたが、できるかどうかは考えませんでしたね。むしろ、できると信じた」

 

失うものはない。花千代さんの人生は、そんな思いでする決断の連続だった。その原動力であり、ときに武器ともなったのが、自分には備わっていないと思っていた“母性”だ。そう考えると、母の裏切りがあれほど深かったからこそ、その後に誰も持ち得ない大きな母性にたどりつけたとさえ思えてくる。

 

‘08年に、日本に暮らして50年というワイン輸入業者のアーネスト・シンガーさん(68)と結婚。アーネストさんの連れ子6人の母となる。花千代さんは50歳という人生の節目を迎えて、フラワーデザインに加え、スクールの運営やジュエリーデザインなどにも挑戦中だ。

 

「やりたいと思ったら、そのうち向こうからやってくるんです。着物のデザインもしたくて、今、あちこちで言いまくってるの(笑)。だから、この記事でも、書いておいてくださいね」

 

いたずらっぽい笑顔で語る花千代さん。未知なるいくつもの美の世界を、母性を武器に、この先も創り続けていくに違いない。

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