「3月末で、天理大学体育学部准教授の職を辞し、柔道指導者から離れることになりました」

 

4月10日、前柔道日本男子代表監督の篠原信一氏(40)は、自宅のある奈良県天理市内で本誌に心境を語りはじめた。篠原氏は’00年のシドニー五輪100キロ超級決勝で“世紀の誤審”ともいわれた微妙な判定で金メダルを逃したが、日本を代表する柔道家として知られる。

 

神戸市長田区出身で、育英高から天理大に進学。旭化成を経て、’01年からは母校・天理大学の体育学部専任講師として後輩の指導にあたり、’07年には准教授に就任。’08年11月には男子日本代表監督に抜擢された。しかし、昨年のロンドン五輪で男子は史上初の金メダルゼロという不名誉な結果に終わり、責任を取るかたちで昨年11月に代表監督を退いた。退任後は、天理大准教授としての通常業務に戻っていた。

 

「大学を辞めたのは、ロンドンの結果や全柔連のゴタゴタとは一切関係がありません」と語る篠原氏。柔道界に不満があって辞めたわけではないという。では、なぜ今なのか。

 

「40歳を機に指導者を辞めることは、私のなかでは2年ほど前から決めていたことなんです。周囲にもそれとなく話していました。40歳って、人生80年として折り返し地点ですよね。もし、なにか柔道と違うことをするなら、40歳からじゃないと踏ん切りがつかないなと考えていました」

 

篠原氏が第2の人生として選択した職業は、産業廃棄物関連の仕事だ。

 

「旭化成に所属して会社勤めも経験しましたが、サラリーマンは無理だと思いました。お世話になっている天理大柔道部の先輩が産廃業をされていて、これなら机にじっと座っているわけでもなく、体を動かせますし、自分にとっては楽しい仕事になるかなと思いました。4月から始めたばかりですが、営業で回ると『あの篠原か』と一応話は聞いていただけるという点ではありがたい」

 

じつは、篠原氏は昨年1月、奈良県内に一般廃棄物、医療廃棄物、産業廃棄物及びリサイクル物処理業務を主とする会社を設立している。会社謄本によれば、代表取締役は夫人で、篠原氏本人は取締役となっている。

 

「万が一、私が大学を辞めた場合に備えて嫁さんが先輩に相談して作った会社です。ただ、私が大学を辞めて産廃を始めると言うと、先輩や友人たちから『お前は馬鹿か。なんで大学を辞めて、そんなしんどい仕事をするのか。お前は大学に残れ』と反対されました。最終的には自分で決めました。実質、社員は私と嫁さんの2人で、私は“なにも専務”と言われています(笑)」

 

(週刊FLASH 4月30日号)

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