7月21日、東アジア選手権の中国戦で柿谷曜一朗(23)が代表26人めとなるデビュー戦ゴールを決めたとき、多くのサッカー関係者は「ようやく辿り着いたか……」と思ったという。かつて、各カテゴリーの日本代表に名を連ね、類い稀なる才能を持つ逸材と期待されてきた。

 

だが、天才ゆえにわがままも目立つようになり、一度は自分を見失った。度重なる遅刻でC大阪のクルピ監督の逆鱗に触れ、「彼の行為はすべてのサポーター、クラブに対する裏切り」と、’09年にはJ2の徳島にレンタルの形で放出された。

 

これまで、柿谷はじつに起伏に富んだサッカー人生を送ってきた。栄光(天狗)、挫折、そして復活……。じつは、同様のことをまさにC大阪神崎スクールでサッカーを始めた少年期から経験していたのである。小学6年から中学卒業まで指導してきた風巻和生コーチ(現・興國高校サッカー部スーパーバイザー)は、当時のことをこう振り返る。

 

「第一印象は人懐っこくて明るくて、やんちゃな“くそガキ”(笑)。彼は上の学年のコと練習していたため、チーム内でつねに年下だから甘やかされていた。責任を取る立場にないので、ボールを取られても追いかけない。これをどう改善するかは大きな課題でした。U-14代表でキャプテンになったのですが、守備をしないことは変わらなかった。人間的に幼かったんですね」

 

その後も柿谷のわがままはひどくなる一方で、チームメートも許せなくなり「なんであいつだけ?」とチームの雰囲気も最悪に。このままだとチームにとってよくないと、中学2年か3年のころ、C大阪ユース内では柿谷を手放すという話まで出たという。

 

「ここで指導者たちはみな考えました。この原石をどう輝かせるか。それができないのは我々の力不足のせいだとしたら、それは後悔になる。選手の成功は指導者全員の喜びと考えようと、ユースの指導者みんなでなんとか更生させようと話し合いました。それからは、相当厳しく当たって辛抱強く育てました。時間はかかりましたが(笑)」

 

成功と挫折を繰り返してきた柿谷。だが、J2の徳島で試合に出る楽しさ、大切さを再確認できたことで人間的にも成長し、昨年古巣のC大阪に戻ると才能が一気に開花、日本代表へと辿り着いた。遠回りしただけに、ライバルたちに先を越されて鬱憤は溜まっているはず。あとは、それをピッチで爆発させるだけだ。

 

(週刊FLASH 8月6 日号)