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惜しくも決勝進出はならなかったが、16歳5カ月での200メートル準決勝進出は史上最年少記録。世界陸上で眩いばかりの輝きを放ったのが、サニブラウン・ハキームだった。そして、スタンドで同様の輝きと美しさを見せつけていたのが母・明子さん。息子の勇姿に「行け〜キーム!」と、大声を張り上げる姿を本誌は目撃。この母なくして、世界最年少最速ランナーの誕生はなかった。

 

というのも小学3年時、父・ラティフさんの影響で始めたサッカーから陸上に転向したのは、明子さんの「あなたは団体スポーツには向かない。陸上をやりなさい」との進言から。明子さんは、高校時代に100メートルハードルで総体出場経験を持つスプリンターだったのだ。

 

「陸上転向後も、とにかくマイペースで気分屋。乗ればやるけど、そうでなければなかなか本気で走らない。小学校時代は、指導者泣かせの選手だった。ただ、大きな大会になればなるほど気分が乗って好タイムを出す。そんなところは今と変わらない」(陸上担当記者)

 

気分屋の側面を持ちながら、その才能に疑いの余地はなかった。東京・城西中学でこそ目立った実績はないが、同校高等部に進むと、記録は飛躍的に伸びた。昨年の国体では、少年B100メートルを10秒45で優勝し、その名を全国区に。以降の活躍については、いまさら説明の必要もないだろう。

 

「技術は専門の指導者にまかせ、明子さんは精神面や人としてどうあるべきかを助言している。そのひとつが『正しいと思ったら貫きなさい』ということ。彼はサングラスをかけて走ることがありますが、単純に目を守るため。周囲は、『高校生らしくない』と批判するが、それでも外さない。自分を通しているんですが、その根底には母の教えがあるのでしょう」(専門誌記者)

 

また多くのハーフ選手がそうだったように、彼も幼少時代、好奇の目で見られたことが少なからずあったようだ。

 

「そんなときも明子さんは、『堂々としていなさい』と。昨年の総体に弟のハナンくんを連れて応援に行ったんですが、珍しく映ったのか多くの人から写真を撮られていた。そんなときでも、まったく意に介した様子はありませんでした。子供たちに身をもって生き方を教えているのでしょう」(同前)

 

そんな“美人モーレツママ”に支えられ、日本陸上界希望の星は、リオ五輪でさらなる高みを目指す。

 

(週刊FLASH9月15日号)