W杯初の女性主審・山下良美さん 選手でなくとも主審として世界の舞台へ

投稿日:2022/11/20 06:00 更新日:2022/11/20 06:00
W杯初の女性主審・山下良美さん 選手でなくとも主審として世界の舞台へ
(写真:アフロ)

9月18日、東京・国立競技場で行われた、J1リーグFC東京×京都サンガF.C.戦で、日本のサッカーに新たな歴史が刻まれた。

 

試合開始前、5万994人の大観衆の視線はフィールド中央に集中。

 

両軍の選手ではなく、センターサークルから5mほど離れて直立する、ライムグリーンのユニホームに身を包んだ女性に、だった。

 

ロングヘアを後ろで束ね、唇を結んでキリリと表情を引き締めた彼女は、山下良美さん(36)。

 

女性初のプロフェッショナルレフェリーで、この日J1史上初の女性主審を務めたパイオニアだ。

 

日本で初めてサッカー全国大会が開催された1921年の天皇杯 全日本サッカー選手権以後、男子の主要大会には長らく男性の審判しかいなかった。

 

そんななか女子の国内リーグや国際戦で主審の経験を積んできた山下さんは、’19年の男子の国際戦AFCカップで女性初の主審に選ばれた。

 

’21年5月にJ3、そしてこの日、ついに男子のトップリーグであるJ1公式戦の笛を吹いたのだ。

 

「J1のフィールドに立てたことを大変光栄に、うれしく思います。今後も1試合、1試合、真摯に向き合っていきたいです」

 

熱い視線が彼女に集中したのには、もうひとつ理由があった。11月20日開幕のFIFA(国際サッカー連盟)ワールドカップ・カタール大会に、女性初の主審として選ばれた3人のひとりに、彼女が決定したからである。

 

じつは山下さんはもともと選手だった。日本代表や、なでしこリーグなどの出場経験はなく、審判に転向した過去がある。

 

選手でトップに立てなかったが、最高峰の大会で笛を吹く、世界で初めての女性になるのだ。

 

JFA審判委員会・副委員長の山岸佐知子さん(49)は、ワールドカップで主審を務めるための必須の条件をこう解説する。

 

「選手としてのサッカー経験をベースに、トップ選手の動きに遅れないスピード、フィジカル維持のための鍛錬がつねに必要です。

 

クレームにひるまない芯の強さに瞬時の判断力、さらにその場の空気を読む力まで求められます」

 

試合が荒れれば、特に海外では乱闘や暴動、ときに死者が出る大事故につながることさえある。

 

それほど激しい競技の世界大会で初となる女性主審に、なぜ彼女が選ばれたのだろうかーー。

 

 


(写真:アフロ)

 

■大学の女子サッカー部ではチームは下位争いの常連 社会人チームでも国体に出られず

 

山下良美さんは、4歳のとき地元のクラブでサッカーを始め、’04年には東京学芸大学教育学部に入学。女子サッカー部に入部した。

 

山下さんはこの時期、関東大学女子リーグ1部で下位争いの常連。

 

「しかも4年の最後の入れ替え戦では敗れて、2部に落として部を引退という結末でした」

 

では、選手としての個人成績は。

 

「関東女子1部の『ベストイレブン』に、ディフェンダー部門で選ばれたことがありました。

 

その後、社会人チームFC・PAF時代に国体の都代表チームに招集されたことがあるんですが、予選敗退で国体は出ていません」

 

こと就活も明確なビジョンがなかったと山下さんは言う。

 

「教育学部なのに教員採用試験を受けず、自主留年しました。いま考えれば、ただの『自分探し』の1年間だった。ちゃらんぽらんでしたね……」

 

すこし、こちらをのぞき込むようにして彼女は続けた。

 

「私、ハキハキしゃべるからか、『しっかり者』に思われるんですが、ぜんぜんそうじゃないんです。行動力がなく、なにかを能動的にやるのが苦手で、見かねた誰かに声をかけられるっていう……」

 

結局、留年の1年も教員試験を受けず、大学の非常勤職員として’09年に母校に就職するのだ。

 

 


(写真:アフロ)

 

■試合をスムーズに進めながら、サッカーの魅力が発揮されるのをサポートするのが主審

 

「まさか自分が審判になるなんて考えもしませんでした。5つ上の先輩に、大学4年の終わりごろに声をかけられたんです」

 

審判という職業になるきっかけを、山下さんはこう振り返る。

 

その「5つ上の先輩」で現JFA女子1級審判員、FIFA女子国際副審の坊薗真琴さん(42)が、声をかけた理由を明かす。

 

「山下さんは、ご飯を食べにいくときでも、必ず誰かについていくタイプで、目立ちたくない性格。

 

半面、ピッチ上では攻撃的ポジションのチームメートにガンガン指示を出す。毅然とリーダーシップを取れる強さがあったんです」

 

選手と違って審判に「楽しさ」は感じられなかったが「気づき」が多くあったのだと振り返る。

 

「主催者、会場係、サポートの方……たくさんの協力で初めて試合が成立することに気づきました。

 

そのなかでの主審の役割とは、試合をスムーズに進めながら、サッカーの魅力が最大限に発揮されるのをサポートする立場だと」

 

ただ、この時点では社会人選手でもあり“二足のわらじ”だった。

 

4級から順を追って審判資格を取得していた山下さんは、女子のトップリーグを担当できる女子1級を’12年12月に取得。

 

翌’13年に1級取得の研修合宿に参加する必要が生じたが、同時期はチームの大事な試合が重なり、ここで二者択一を迫られた。

 

「自分でも、ここが岐路になるとわかっていました。覚悟を決めなきゃと。そして『審判の道に進む』と積極的な選択をしました」

 

なんでも自分で決められなかった山下さんが、このときどうして、決断できたのだろうか。

 

「それは、なでしこジャパンが’11年にワールドカップで世界一になったことが大きかったんです」

 

女子日本代表が’11年7月、男女通じて初の世界一となった快挙は、同年3月の東日本大震災で深く沈んでいた国民を元気づけた。

 

その功績によりサッカー界初の国民栄誉賞をもたらしていたのだ。

 

「なでしこジャパンが活躍する姿を見て、『じゃあ、私がサッカー界に貢献できることってあるの?』と自問自答していました」

 

山下さんの心に兆してきたのは、「審判としてなら貢献できるかもしれない」という希望だった。

 

「ワールドカップで優勝した女子日本代表の選手が競う、レベルの高いピッチで主審を担当すること。

 

そこで、『サッカーの魅力を最大限に引き出す』役割を果たすことができれば、それが私のサッカーへの貢献になるのではないかと」

 

先輩の坊薗さんの目に山下さんの変化がハッキリ見て取れたのは、’15年に女子国際審判員の資格を取得したときのことだった。

 

「彼女の走り方が変化していたんです。選手は腰を低く、小回りが利く姿勢で走りますが、審判は腰を高く、堂々とした走りをしなければいけない。このときの堂に入ったフォームを見て『この人は、とうとう覚悟を決めたな』と」

 

山下さんは水を得た魚のようにトレーニングに邁進した。

 

「スプリント力(走るスピード)のアップを主眼に、尾㟢崇仁フィジカルコーチにトレーニングを仰ぎました。同時に国際試合を想定して英語の勉強もしたんです」

 

地味だけれど着実な彼女の鍛錬に目標が伴ったことで、ついには世界の評価につながっていくのだ。

 

 


(写真:アフロ)

 

■日本の、そして世界の女性代表として『失敗したら女性審判の発展が滞る』という重圧

 

「JFAから連絡をもらった瞬間、まずは驚きでした。そのあとすぐ責任の大きさが頭を駆け巡って。身が引き締まる思いでした」

 

山下さんは今年5月、ワールドカップの女性主審に世界で初めて選出された3人のひとりとなった。

 

その吉報を本人からLINEで受けた坊薗さんは、「すごいことになっちゃったね!」と打った後、「ごめんね」と添えている。

 

その真意を坊薗さんは、

 

「女性初として否応なく注目されます。日本代表、しかも、世界の女性代表として『失敗したら女性審判の発展が滞る』という重圧は計り知れませんから」

 

これを受ける山下さんは、冷静に自分のスタンスを把握していた。

 

「私は不言実行タイプと思われがちですが、発言すれば実行責任が伴い、重圧に負けてしまうと思う。少しでも気が楽でいられるように、言葉にしないことにしています。

 

それと、目標を達成したら満足してしまう性格なので、言わないことで、自分で自分の可能性を奪わないようにしているんです」

 

 


(写真:アフロ)

 

■母は「わが子ながら、よくぞここまでたどり着いたなあ」と、娘を誇りに感じて

 

「担当する試合が毎週あるわけではなく、オフシーズンもあります。これまでは、審判員の収入だけで生活するには厳しい実情でした」

 

山下さんがJFAとプロ契約を結んだのは、今年の7月。職業として審判に専念できる報酬を年間契約で得られるようになった。

 

だがそれ以前は1試合数千円〜数万円のギャランティのみだったため、7月までインストラクターのアルバイトを続けていたのだ。

 

そんな山下さんを信じて、応援してきた母が取材に答えてくれた。

 

「サッカーを始めた4歳のころは、ほかに女子がいませんでしたが、私は娘にただ好きなことをさせてあげたかった。良美もやる気まんまんで、『女子のハンディキャップ』はまったく感じませんでした」

 

学生時代、選手としての試合には両親で応援に駆けつけていた。審判に転向した後も「審判する娘」を毎試合、見に行ったのだという。

 

「どの試合も入場行進は感激しますが、その後はすぐ『何事も起こらず、(試合が)早く終われ、早く終われ』と念じているんです」

 

母として娘に持つ願い、「好きなことをして幸せに」は最高の形でかないつつあるが、一方で、将来についてはどう思うのだろうか。

 

「いろんな場面、局面……プロになったときも、良美は私たちに、状況や展望を話してくれました。

 

良美の活躍する姿を私たちが楽しんで、心から応援していると、わかっているんだと思います。

 

今後の人生は良美本人が決めること。私たちは彼女自身が決めたことを、すべて受け入れて、応援していこうと思います」

 

最後に「ただ……」と区切って、

 

「よくぞここまでたどり着いたなあと、わが子ながら、大したものだと思います。ワールドカップは、ただ体調を万全に整えて、無事に終えてほしい。それだけです」

 

ここまで育ててきた娘への、母としての全幅の信頼と、誇りが感じられる言葉だった。

 

山下さんにも両親についてたずねてみると「親孝行」について、次のような言葉で語ってくれた。

 

「両親には感謝しかないので、もちろん親孝行はしたい。なにが親孝行なのかわかりませんが、なんらかの形でしたいんです。

 

日ごろは気恥ずかしくて、感謝も伝えられていないんですが……」

 

しかし、いまは主審として活動する姿が最高の親孝行に違いない。

 

そして間近に迫るワールドカップでの彼女の勇姿に、日本全国の女性が誇らしさと晴れがましさを感じることだろう。

 

山下さん自身は「仕事と私生活の見通し」を、どう考えているのだろうか……。

 

「人生設計として明確なプランは、いまは持っていないんです。もともと将来像を明確に持って行動するタイプでもありませんし……。

 

ただ、サッカーにはこの先も、なんらかの形で、ずっと長く携わっていきたいと思っています」

 

11月20日開幕のカタールワールドカップで、彼女が女性主審の道を切り開く姿に、見る者は人生を重ね合わせ、希望をはせる。

 

それがサッカー界の女性活躍として注目されれば、さらなる理解と底辺の拡大につながっていく。

 

いま“ウィンウィンなパス回し”のキックオフを、山下良美主審のホイッスルが告げているーー。

 

(取材・文:鈴木利宗)

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