「いま、フィンガー5の晃(あきら)くんたちと『同窓会コンサート』という企画で、全国を回ってるんです。どこも超満員。ほとんどが当時のファンの人で、みなさん10代のときのノリ。歓声も、今のほうがむしろ大きいくらい(笑)」

 ’72年3月、シングル『恋する季節』でデビュー。郷ひろみ、野口五郎とともに「新御三家」と呼ばれ、一世を風靡したのが西城秀樹(59)だ。秀樹といえば、派手な衣装とアクションが印象的。

「衣装、アクションも、最初は全部、自分で考えたんです。今だから言えるけど『激しい恋』のタンクトップにマフラーの衣装は、当時好きだったロッド・スチュワートそっくりなんですよ」

『薔薇の鎖』で秀樹が披露した、スタンドマイクを振り回すアクションも、ロッド譲りだった。

「武道館のロッドのコンサートに行ったとき、ステージに上ってマイクスタンドを持ったら、軽いんですよ。いっしょにいた、かまやつひろしさんが『これはアルミだね。作れるよ』って。それで、特注で10本スタンドを作って。かまやつさんがいなかったら、あのアクションは生まれてなかったですね(笑)」

「ウルフカット」と呼ばれた髪型も、日本中で大流行した。

「(野口)五郎ちゃんの実家は美容院でね、僕はショーケン(萩原健一)の行ってた美容室で、この髪型にしたんだけど、偶然、五郎ちゃんといっしょの髪型になっちゃって。2人がそろってこの髪型にしたのが、ウルフカットブームのきっかけだったと思いますよ」

 当時、マンションで一人暮らしをしていた彼だが、ある晩、玄関の鍵をかけ忘れて寝てしまったことがあった。

「深夜、ふと目が覚めたら、暗いベッドサイドにボーッと女性が立っているんだ。幽霊かと思って度肝を抜かれたんだけど、よく見ると、勝手に部屋に入ってきたファンの女性(笑)。あわてて、とにかく外で話をしようと、近くの喫茶店まで連れていったことがあった」

 そして’79年には『YOUNG MAN』が大ヒット。

「前の年、ロサンゼルスに行ったとき、この原曲がラジオから流れたんだよね。で、『これいいね、歌ってみようか』と、ステージで原曲を歌ったところ、好評で。日本語の歌詞は100くらい作ってもらった中から僕が決めたんだけど、結果的に最後に選ばれたのは当時の僕のマネージャーが書いたものだった。『YMCA』の振付も、僕のアイデア。それを振付師の一の宮はじめさんが、うまくまとめて完成させてくれました」

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