第7話 引きこもるのがおスキ
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2001年4月22日に父が、突然死して以来、母は、一人暮らしを続けてきた。母は、どちらかと言うと孤高の人で、友だちと呼べる人は、いない。今年の9月で80 歳になる母の周辺は、クシの歯が欠けるように、親戚や知人が、亡くなっていくというのも事実だ。とにかく、私の頭の中には、ずっと母は、自立し、人の助けを借りるのを嫌がる人、とインプットされていたんだと思う。
ところが、私が、帰国して母と共同生活をし始めて以来、ちょっと考えが変わった。まず、母は、もの静かで、己を厳しく律することが出来る人間だった、と過去形で言った方が、いいことにすぐ気が付いた。母は、いつの間にか認知症の症状とともに、実にさばけて、ワガママで本能的な人間に変貌していたのである!
とにかく起きたい時に起き、食べたい時に食べる、というか、「食べさせろ、だって本当は、料理ナンかキライだよ!」的な態度を私に見せつけ、実に堂々と本能主体の生活をするようになっていたのだ。まあ、それは、それで対応の仕方もあるし、むしろ私の中では、イケイケ〜と応援したい気持ちがある、というのも正直なところだ。ただ唯一気になったのは、母の<引きこもり>状態だった。
1週間から10日以上、家の外から出て行かないなんて、ザラなのである。天候が、悪ければ、尚更である。冬の間は、500%コタツ人間だった。コタツで寝起きする。コタツで朝寝、昼寝、夕寝までする。春の三寒四温の気候になれば、その気候が、気に喰わないとばかり、自分の部屋に引きこもっている!
そんなに長い間、自分の部屋で何をしているんだろう?読書かな?いや、あんなに読書が、好きだったのに、それもかったるくなったのだろう、本は、全く開いていない。どうやら、ひたすら暗闇の中で、テレビを見ている。いや、眺めている、と言った方が、いいのかも知れない。
母は、本当に引きこもるのが、おスキなのだ!母と生活を始めたばかりの私は、かなり焦る。なぜ?
バカげているかも知れないが、このまま母の脳ミソも溶け出すんじゃないか、認知症が一気に悪化するんじゃないか、そうしたら、私は、どうすればいいんだ?つまり、私の心理的、物理的、そして肝心な映画的準備が、まだ出来ていないうちに、母にまだ、悪くなって欲しくない!とまあ、私は私で、実に手前勝手な理由から焦っているのだ。
それでもまず、そんな母の状態をカメラに治めておこう、と監督の私は、思う。
初めにカメラありき。
引きこもる母に対して、これと言って打つ手の思いつかない私は、撮影をする。撮影する事で、何か事態が、変わらないか、変えられないか、と考えつつ。そんな私に母は、一言。
フィルムが、もったいないから止めなさい。
素直に「ハイ。」と同意する私。ったく、どっちが、監督なんだ?あ〜あ、どうしょうもないなあ・・・
ドキュメンタリー映像作家 関口祐加 最新作 『此岸 彼岸』一覧