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「TSUTAYA」チェーンで知られるカルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)は、今年のゴールデンウィークに東京・二子玉川で新業態の大型店「蔦屋家電」をオープンしました。この店は「家電を通じてトータルな生活提案をする」というコンセプトの下、家電に加え、本、雑貨、ヘッドスパコーナー、そしてビールを提供するバースタンドまで揃った、今までにないユニークな空間となっています。

 

先日、この「蔦屋家電」を立ち上げたCCCの創業社長である増田宗昭さんのインタビューを読んだのですが、そこには深い洞察に満ちた内容が語られていました。増田社長の主張の本質は「効率を求めることと、人が幸せになることとは違う」というもので、効率至上主義が蔓延してきた戦後の日本の資本主義に対して根本的な疑問を投げかけるものでもありました。

 

モノを効率的に生産し、安く販売するということ。それが素晴らしいのは、昔も今も変わりありません。ただ今の時代、それだけで人間は幸せになりません。終戦直後の日本のようにモノが不足していた時代には、企業が効率性を至上目標とし努力することが大事でした。しかし今のようにモノがあふれている時代において消費者は、必要だから購入するというよりも、生活を豊かに“感じる”ために購入する傾向が強くなっています。

 

つまりモノ自体の機能性や品質、そして価格そのものを最終目的とせず、そのモノを使うことで生活者としての消費者は如何に幸せになれるかということを、事業者側はもっと真剣に考えなければならない時代になってきているのです。具体的には、消費者にとっての幸せとは果たして何なのかを想像し、その幸せを実現するのに自分の会社が出来ることは何かを考え、それをカタチにしたモノやサービスを提供する企業こそが、これからの社会に必要な企業なのです。

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便利な時代に生まれた我々は、ある意味、不幸とも言えます。なぜなら便利は我々の考える能力を排除していくからです。便利は考えることを許さない。理性の介在を許さないのです。便利になることの本当の意味は、考えなくても済むということを意味するからです。便利になればなるほど我々の知性は麻痺され、衰退していきます。知性が衰退していくと、精神の自由が奪われます。結果、我々は自分の頭で考えることのできない弱々しい人間になっていきます。

 

嵐に遭わないと、老練な船乗りにはならないもの。嵐は精神や肉体に極度の緊張感を与えますが、その緊張感こそが自分でも気づかなかった力を導き出してくれるのです。日向の恵まれた環境の下で育った木が弱々しいように、嵐のない凪のような海でしか航海したことのない船乗りは脆弱です。人生という航海に出た我々は嵐を耐え抜かなければならないし、その先に待っているのは、逆風さえも順風に変えられるたくましい船乗りであります。

 

人生でいえば、その嵐というのは’運命のいたずらと言い換えてもいいのかもしれません。なぜこのタイミングに、なぜ私だけがこんな目に遭わなければならないのかと運命の女神を恨んだこともあるでしょう。しかし、実は運命というのは敵の仮面をかぶった味方だったりもするものです。

 

人は始めこそ運命に苦しめられますが、その運命によって鍛えられることを通じて、いずれ運命と対等な境地まで自分を引き上げることができます。従って、運命に不満をこぼすことなく運命と対等な境地にまで自分を磨き上げ、最終的には運命の上に立つ人生を築き上げることこそが、我々の生きる使命ではないかと思います。


ジョン・キム 吉本ばなな 「ジョンとばななの幸せって何ですか」(光文社刊・本体1,000円+税)

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吉本ばなな

1964年東京生まれ。’87年『キッチン』で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。’88年『ムーンライト・シャドウ』で泉鏡花文学賞、’89年『キッチン』『うたかた/サンクチュアリ』で芸術選奨文部大臣新人賞、同年『TUGUMI』で山本周五郎賞、’95年『アムリタ』で紫式部文学賞、’00年『不倫と南米』でドゥマゴ文学賞をそれぞれ受賞。海外でも多くの賞を受賞し、作品は30カ国以上で翻訳・出版されている。近著に『鳥たち』(集英社刊)、『ふなふな船橋』(朝日新聞出版社刊)など。

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