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1月某日 北海道

 

皆様、明けましておめでとうございます。2018年の干支は戌でございますが、干支に馴染みのない欧州では、よく周りの人から「私の生まれた年の動物教えて」と聞かれることがあります。該当するのが寅や辰だと大抵の人は何気に勝ち誇ったような表情になり、子(ネズミ)や巳(蛇)だと「え~っ、そんなのやだあ~」とがっかり感のあからさまな反応が戻ってきたりします。その度「いや、べつに該当の干支があなたの人格を比喩しているわけではないから」と説明するのですが、動物に対する価値観で損得を図ってしまうのは、干支に慣れ親しんでいない地域の人だから仕方のないことかもしれません。

 

ちなみに私は未年生まれで星座も牡羊座ですが、イタリア人の家族からは「頭の堅い羊はまさにあんたにピッタリの動物」などと言われています。全く関係性はないと思うのですが、それぞれの動物の特性を該当する人の人格と結びつけたくなる気持ちは確かに判ります。あなたの干支は戌だよ、と言うと、「ああ、おれ鼻が利くんだよね」と反応する人が結構いたりしますが、干支が自分を俯瞰で捉えるきっかけになっているのは面白いことです。

 

そんなわけで、今回の年末年始もいつもどおり、私も、そしてハワイに暮らす戌年の息子もみな北海道の母の家に集まって過ごしたわけですが、元日には例年通りどさっと年賀状の束が届きました。

 

これだけの年賀状が届く、ということは、毎年これだけの量の年賀状を母も出しているわけで、何十年も前から「年賀状を止めたい」と口にしつつも律儀にこの習慣を守り続けているのは大したものです。「面倒だけど、やっぱり年賀状が届くのは嬉しいものだ」と、1枚1枚確認している母の姿を見ていると、確かにPCも携帯も駆使できない彼女にとって、年賀状は友人や知り合いの音沙汰を年に一度確認するための大事なものなのかもしれません。

 

今年は干支が戌年だということもあり、自分の飼っている犬がプリントされた年賀状の数が半端ありません。ありとあらゆる種類のワンコが主に代わって「明けましておめでとうございます」と新年の挨拶を告げています。私は実は昔から自分たちの家族や赤ちゃんの写真などがプリントされた年賀状がなかなか苦手なのですが(なぜなら処分しにくいから)、それにしてもこの1枚のハガキの中で炸裂しているみなさんの我が家のワンコ愛には圧倒されました。

 

「いやあ、みんな自分のワンちゃんをお披露目したくて仕方がないんだな」と呆れ気味に呟くと、なにやら黙り込む母。宛名不明で戻ってきた母の年賀状をひっくり返してみれば、そこに印刷されているのは母の愛犬ピエラと、愛猫マコちゃんの写真ではないですか。「これはっ!?」と目を見開く私に「いいじゃないの、べつに自分の犬自慢だって」と母。まあ確かにそうなんですけどね。でもですね、戌年と関係のない猫まで印刷されているのはどうなんでしょうか。

 

「あんただって猫年があったら、猫の年賀状作って知り合い中に送りつけてるわよ」などと言われたら、もう返す言葉もありません。それに「うちの犬はご長寿犬なのよ。縁起がいいのよ」と母が言い訳する通り、ピエラはゴールデンレトリバーという大型犬でありながら、今年の2月に18歳になります。ギネスに登録されているもっとも長寿のゴールデンレトリバーが19歳だそうですから、今の様子のまま元気でいてくれたらギネス越えも夢ではありません。

 

ピエラはうちの息子が6歳の時に家にやってきました。今、息子は24歳で、すっかりおっさんのような若者に育ちましたが、ピエラは当時と変わらぬ初々しい容姿と、食いしん坊を維持したままお婆ちゃんになりました。

 

さすがに片目は白内障で聴覚も衰え気味ですが、私たちが食事を始めるとすかさず反応し、「もしかしたら何かくれるかもしれない!?」という希望に満ちた潤んだ目で、寛容そうな人の傍にじっと佇みます。私から食べ物をもらう場合は“お手”をしないと叶わないことが判っているので、“お手”体勢万全の状態で私の顔をじっと見つめるわけですが、そうすると母が「かわいそうに、何かひと口くらい上げないさいよ」と促してきます。うちのピエラは他所様の健康管理の行き届いた犬に比べてかなり緩く自由奔放に、言い方を変えれば結構いい加減に育てられてきました。母はあまり周囲の言葉や情報に耳をかしません。ピエラはかつて大病を患って大手術をした事もありましたが、周りの心配をよそに、その翌日から元気に近所を散歩するなど強靭な体力の持ち主でもあります。

 

84歳の母と一緒に朝の散歩を欠かさないという話をこちらのエッセイでも書いたばかりですが、ここ最近は母の体調が優れない為に今はご近所の方にお願いをしたりしています。ギネスの年齢まであとわずか! と目を輝かせる周りの人々の期待を受けてなのか、そんなことはどうでもいいと考えているのか、ピエラは変わらずのんびりと老犬ライフを楽しんでいるのでした。

 

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“いつまでも元気でいなきゃいけない”プレッシャーを取り除いてあげたい

 

確かに人間でも動物でも、生き物の長生きは縁起の良さを感じさせられますし、元気なご高齢者の姿は多くの人々にとっても「ようし、自分たちも健康で長生きできるよう頑張るぞ!」と意気込むきっかけにもなっています。

 

でもここ最近、私は長生きへの期待や歳を取っても元気で健全さばかりが“凄い事”として世間で扱われていることに、ちょっとだけ抵抗を感じるようになってきています。

母が病気を発症してしまったことも、そんなふうに思うようになったひとつのきっかけでもありますが、「いつまでも元気な老人でありたい」「歳を重ねても、いつも変わらないと思われたい」「健康のまま人生を全うしたい」という思いが彼女の中に強くあることが判ったとき、それが実は彼女自身にとっての大きなプレッシャーにもなっていることに気がついたからです。

 

母は病気のことを周りから心配されたり、気遣われるのをことごとく嫌がります。でも〝老い”に伴う現象というのは、自分の意志でどうにかなるものではありません。なのに「元気で丈夫な老人」プレッシャーのせいで気楽に歳を取れない老後なんて、辛過ぎると思うわけです。

 

これから高齢者ばかりの日本社会になっていく中で、なるべく自分で元気力を維持し、社会や人様にとっての迷惑のもとになりたくない、と感じる人たちは益々増えていくと思います。面倒を見てくれる人のあてもない今、悠長によれよれになっている場合ではないのも確かですが、老いと正面から向き合うことが許されないのは過酷です。

 

帰省中、母の枕元に90歳を過ぎても活躍するピアニストのエッセイがあるのを見つけた時、こんな本読まなくてもいいよ、とつい口にしそうになりました。以前までは、テレビなどで若々しい高齢者が出てくると「お母さん見てご覧。この人、こんなに高齢なのにしっかりして元気で凄いね」などとつい発言していましたが、正直それは彼女にとって何の励ましにもなっていなかったでしょうし、むしろ比べられて嫌な気持ちがしていたかもしれません。

 

病のせいで思い描いていたような老後を過ごせそうにもない自分にストレスを溜め、悲しみ、きっと悔しさも感じているに違いない彼女から、何より取り除いてあげるべきことは“いつまでも元気でいなきゃいけない”プレッシャーであり、これは高齢者がそばにいる多くの方々にもお伝えしたい事でもあります。ご長寿犬ピエラのように、いつまでも若いときのまま歳を取る大型犬もいれば、早くから介護を必要とする大型犬もいるのと同じで、人間も含め生き物の老いは皆それぞれだということを、周りも今後強く心得ていく必要があるでしょう。

 

実家を去る前に母の部屋を覗くと、昼寝をしている母の傍に寄り添っているピエラと猫のマコちゃんが目に入りました。そして人間と違って主のあるがままの老いに何を求めるでもなく、ひたすら優しく深切に接している動物たちに対して、感謝の気持ちで胸がいっぱいになりました。「ギネスなんてどうでもいいから、気楽に歳をとっていいよ。何かあったら面倒は任せな」と呟きながらピエラの頭を撫でると、彼女はすくっとその場で立ち上がり、それじゃご褒美下さい、と言わんばかりに右手を差し出してきました。その食い意地にはやはり彼女の逞しさと、頑強な生命力を感じないではいられません。

 

食いしんぼうご長寿犬ピエラ。戌年の始まりにふさわしき姿を見せてくれた、実家のワンコであります。