「よく生きていてくださいました」「大丈夫ですよ。元の生活に戻れますから」……。

東日本大震災から3年、避難所や仮設住宅で、膨大な数の老若男女に慈愛のお言葉をかけ続けられてきた美智子さま。さらに被災地復興関連イベントへのお出ましも多く、こちらは3年間で15回にも及ぶ。

昨年12月15日には、千代田区の日経ホールで開催された『「奇跡の一本松コカリナ」が奏でるコンサート』にも、お1人で出席された。コカリナは、オカリナに似た木製の笛だ。東欧の素朴な民族楽器を改良して日本で広め、このコンサートを主催したのが黒坂音楽工房の黒坂黒太郎さん(64)だった。

 

黒坂さんは、美智子さまとコカリナについて、本誌の取材にこんなエピソードを明かしてくれた。

「東日本大震災発生後には、材木店や全国のコカリナ製作者たちの協力を得て、津波で流されてしまった陸前高田市の松原の木でコカリナを作り、市内の小学生たち約1千人にもプレゼントしたのです。

また‘12年秋には、陸前高田市の被災松で制作したものを、美智子さまにお送りしました。

あたたかい音の出る“バリトンコカリナ”で、少し大きめでした。すると、『もう少し小さいコカリナを購入したいのですが』と、ご連絡があったのです。“バッグに入れて、いつも近くに置いておきたいから”というのが、そのご理由でした。

そこで、(8センチほどの)小さいソプラノコカリナをお送りしたのです」

その半年後の’13年春に、コカリナ指導のため御所に参内した黒坂さんが見たものは、布で作られた美智子さまお手製のコカリナケースだったという。

「美智子さまは『被災地の子供たちのために、コカリナを作ってくださって、ありがとう』と……。まるで東北の小学生たちの、本当のお母さんやおばあちゃんのようなお気持ちでいらっしゃるのでしょう。練習では、美智子さまが選ばれた童謡『故郷』や『浜千鳥』などをお教えしました。コカリナは演奏者の性格が音色に出やすいのですが、とても優しい音色でしたね。

このとき、『皆さんが元気になってくださるように、私たちは被災地へ行くのです』とも、おっしゃっていましたが、非常に印象的なお言葉でした」

 

昨年12月のコンサートでは、黒坂さんは奇跡の一本松の枝で作ったコカリナを演奏した。

「すでに立ち枯れも始まっていたため、部分的に黒くなっているのが特徴です。一本松製のソプラノコカリナも差し上げたのですが、美智子さまは『一本松の場所で、陸前高田の子供たちと一緒に吹けたらいいですね』と、話されていました」

 

“東北の被災者の悲しみと苦しみは忘れない……”、美智子さまのバッグの中のコカリナには、そんな思いが込められている――。

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