3カ国で梅を囲み…「令和」考案者込めた日中韓平和への願い
2017年5月、富山県「高志の国文学館」を訪問された天皇皇后両陛下と、当時の館長でもある大阪女子大学の中西進名誉教授 /(C)JMPA

<初春の令月にして、気淑く風和ぎ――>

 

新元号「令和」は、日本最古の歌集『万葉集』の「梅花の宴」の漢文で書かれた序文から採用された。『万葉集』に詳しい上野誠・奈良大学教授が解説する。

 

「よい月に天気がよく、風が柔らかに頬をなでるような、なんともよい日に親しい友と宴をする――。730年正月13日、九州・太宰府で『万葉集』の編纂者の1人、大伴家持の父である大伴旅人の邸宅で催された梅の花見の宴。そこに集まった32人の歌人が、当時は中国からの外来植物だった梅の木を囲んで和歌を詠み合いました」

 

新元号には深い意味が込められていると上野先生が続ける。

 

「新しい時代は、金や名誉ではなく、よきときに、よき友と宴を共にするような穏やかなひとときが人間にとって幸せであってほしいという、考案した方の願いがあると考えています。『令和』には、この2文字を選んだ方の平和を希求する心が表れているのです」

 

「令和」の考案者は、大阪女子大学の中西進名誉教授(89)といわれている。『万葉集』研究の第一人者である中西氏は、過去に新聞連載のコラムで、梅花の宴の32人の歌人のなかに、張福子という中国からの渡来人がいることを紹介している。

 

さらに『万葉集』を代表する歌人で「梅花の宴」でも和歌を詠んでいる山上憶良が、朝鮮半島からの“渡来人”だったという説を提起。国文学や歴史学の世界で議論を巻き起こした人物でもある。

 

中西氏の説が正しかったとすれば、日中韓の3カ国にルーツを持つ人間が、中国から渡ってきた梅の木を囲み、のどかに歌を詠み合っていたことになる。良好とは言えない昨今の東アジア情勢を鑑みると、感慨深い風景だ。

 

’14年、中西氏は『読売新聞』(3月6日大阪夕刊)で日中韓の「平和」についてこう話した。

 

<人間には隣が大事だと、孔子は「徳は孤ならず必ず隣あり」と言った。徳がある人は孤立せず、必ず隣人がいるという意味>

 

中学3年生のときに終戦を迎えた中西氏。

 

4月3日、中国新聞の取材に対して、「令和」の考案者かどうかについて言及は避けたうえで、「『万葉集』は命を尊重する歌を集めている。新時代は戦争も災害も克服できるといい」と語っている。

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