結成35周年を迎えた日本の国民的バンド・サザンオールスターズ。活動再開後初の新曲『ピースとハイライト』の売れ行きも絶好調で、全国5カ所をまわる復活ツアーも精力的に行っている。8月31日には地元、茅ヶ崎での公演が決定。そんなサザンのデビュー時から現在までのあまり知られていないトリビアを、クイズ形式で紹介!

【Q・桑田佳祐が生んだ今では当たり前に使われている造語とは?】
A・ニューハーフ。’80年に桑田がニューハーフの草分け的存在だったベティさんをプロデュースし、対談したときの会話から生まれたといわれている。

【Q・デビューしたてのサザンが全員でサインをもらいに行った芸能人は?】
A・ピンク・レディー。’79年に発売された2枚目のアルバム『10ナンバーズ・からっと』の製作中のこと。サザンはレコーディングの傍ら、テレビ番組に多数出演していた。そんな中、番組の収録の合間にピンク・レディーの楽屋にメンバー全員でサインをもらいに行ったそうだ。

【Q・’88年の復活ライブで3年ぶりにステージに立った原がやってしまったことは?】
A・楽器の音量を下げた。出産と育児に専念するために’85年からサザンの活動を休止していた原由子。’88年の『真夏の夜の夢1988大復活祭』で約3年ぶりに音楽活動を再開した。しかし、原は1曲目の『Ya Ya(あの時代を忘れない)』で不安になり、自分の使うキーボードの音量をこっそりと下げてしまった。

【Q・「コーラスでいいので雇ってください」というメッセージとデモテープを桑田の家に置いていった歌手は?】
A・平井堅。平井が大学時代、桑田の自宅の門の上に、メッセージデモテープを置いていったと音楽番組で発言。そのテープには、プロコル・ハルム『青い影』、ビリー・ジョエル『ニューヨークの想い』の2曲が収録されていた。

【Q・桑田から芸名をもらった芸能人は?】
A・嘉門達夫。替え歌で一躍ブレイクした嘉門は桑田と同じ事務所で後輩。桑田は’81年3月、たった一度だけ『嘉門雄三』の名でライブを行ったことがある。そこから嘉門の名を与えた。ちなみに嘉門雄三の由来は“COME ON”と桑田が敬愛する加山雄三から。

【Q・サザンというバンド名に至るまで桑田はバンド名の変更を繰り返していた。その最初のバンド名は?】
A・『温泉あんまももひきバンド』。その後、メンバーの入れ替えとともに、『脳卒中』『ピストン桑田とシリンダーズ』『青学ドミノス』などが使われ、最終的に桑田の小中学校の同級生、宮治淳一さんが考えた『サザンオールスターズ』というバンド名になった。

【Q・’07年、桑田、原夫妻と一緒に銀婚式を祝ったのは?】
A・山下達郎、竹内まりや夫妻。桑田家から山下家に米俵1俵が贈られたらしい。

【Q・活動休止前の’08年に行ったライブで桑田がファンに向かって言った言葉は?】
A・「サザンの屋号をいったんみなさんにお預けしますんで、また会える日まで守ってちょうだい!」。アンコールのラストは、’82年発表の『Ya Ya(あの時代を忘れない)』。計46曲3時間20分にわたるライブ終了後、スクリーンには『つづく』の文字が映っていた。

【Q・志村けんのコントに由来する大ヒット曲は?】
A・「勝手にシンドバッド」。志村けんが『8時だョ!全員集合』で、沢田研二の『勝手にしやがれ』とピンク・レディーの『渚のシンドバッド』の2曲を使って行っていたコントに由来している。

【Q・桑田のラジオ番組に「桑田さんとセッションがしたいです」と手紙を送った有名デュオは?】
A・ゆず。デビュー前、まだ無名でストリートライブをしていたころ、手紙を出したら本当に桑田が来たという。

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