「亡くなる2日前(3月12日)病室に行ったら(婚姻届が)用意してありました。私に『喪主をやってほしい』って、もうそれだけ……。クラブを経営する私の立場を気遣って『あなたは商売柄、僕と結婚すると迷惑になるかもしれないけど、僕はぜひ、君と結婚したいんだ』って――」

 そう振り返ったのは、3月14日に慢性呼吸不全のため亡くなった宇津井健さん(享年82)の妻・文恵さん(80)。2人が入籍し、正式な夫婦となったのは亡くなる当日のことだった。戸籍上でも夫婦となった2人だったが、その新婚生活はわずか5時間だけだった。3日後の17日に名古屋市内で執り行われた葬儀では、喪主として臨んだ彼女の姿があった。

 文恵さん(旧姓=加瀬文恵さん)は、多くの財界人や文化人から愛される名古屋の超一流クラブ「なつめ」のオーナー。これまで政財界のパーティへクラブのホステスを派遣するなど、国の威信をかけた“おもてなし”の場でも、数知れぬ貢献をしてきた有名マダムだ。

「ようやく初七日の法要を終えました。『なつめ』にもたくさんの人が来てくださいました。命日から私はほとんど寝ていない日々が続いておりましたので、私は早く引き揚げさせていただきましたが、みなさん、夜遅くまで故人をしのんでくださいました。大空真弓さんとか、いろんな女優の方も心配して電話をくださって……」(文恵さん・以下同)

 ごく親しい人の間では、公然の秘密となっていた、宇津井さんと文恵さんの同棲生活。「なつめ」の常連客だった宇津井さんと文恵さんの距離が急速に縮まったのは、宇津井さんが45年間連れ添った愛妻・友里恵さん(享年74)を’06年4月に肝臓がんで亡くしてから。寂しさを癒やすために名古屋の「なつめ」まで頻繁に通うようになった宇津井さんを、文恵さんが励ますうちに愛が芽生えていったのだ。

 ’07年。宇津井さんと文恵さんはハワイに行き、現地で結婚式を挙げた。そして宇津井さんは名古屋の文恵さん宅で暮らすようになった。2人で暮らし始めて、しばらくたったころ、文恵さんは宇津井さんからこう念を押されたという。

「『君の役目は、僕より長生きすること。これは必ずだよ。最期は、僕の手を握って見送ってほしい』って……。それは掛け値なしの彼の本心でしたね。私も『この約束だけは必ず守ろう』と深く胸に誓ったんです」

 2人の生活に病魔が影を差したのは、昨年9月のことだった。宇津井さんの肺気腫が悪化したのだ。体が言うことを聞かなくなってから、宇津井さんは文恵さんに甘えるようになったという。

 これまで非婚を貫き、自分の店「なつめ」が結婚相手と決めていた文恵さん。そんな文恵さんに捧げた宇津井さんの“純愛”が、逝去2日前のプロポーズだった。むろん、結婚については2人きりの問題ではない。宇津井さんには、長男も孫もいる。

「彼が、『息子には僕から手紙を書いたから』って、プロポーズの翌日、東京から駆けつけたご長男に手紙を渡すと、彼も私たちの結婚に納得してくれました。翌朝、私が区役所に婚姻届を出しに行って、報告すると、『籍も無事に入れて、よかった、よかった……』って。これが最期の言葉でした。私は以前の約束どおり、彼の手を握って、見送りました」

 財産目当ての結婚だったのでは、知らない人からはそんなことまで言われたが――
「結婚するときに、向こうもこっちもみんな(相手の財産は)放棄してます、という内容の書面を作っていましたから」と一笑に付した文恵さん。5時間だけの新婚生活について最後にこう言った。

「何か今思うと、全部がお芝居だったみたい……」

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