「君島さんご一家は東京の自宅に戻ってから、一郎さんの遺影に向かって、孫・憂樹さんの宝塚音楽学校合格を報告したそうです」
 そう語るのは、君島誉幸(49)・十和子(47)夫妻の古くからの知人。3月29日、兵庫県宝塚市の宝塚音楽学校への夫妻の長女・憂樹さんの合格が発表された。

 憂樹さんは4歳からは名門バレエスクールへ、そして中学入学後は宝塚音楽学校受験のためのスクールに通っていた。もちろん十和子も全面的にバックアップしたが、彼女が娘をタカラジェンヌにすることに意欲を燃やし続けたのは、“かつての自分の夢”だったからばかりではない。 ‘97年に憂樹さんを出産した際、誉幸さんは本誌の取材にこう答えていたのだ。
「生まれたのが女の子で嬉しいです。父の一郎は宝塚歌劇団の大ファンで、ずっと『お前が女の子だったら、絶対に入団させていたのにな』と、言っていたので……」
 デザイナーの君島一郎さんは、前年の‘96年に亡くなっていた。
「父はこうも言っていました。『女の子が生まれたら、絶対に入団させような』と」

 いわば憂樹さんの宝塚音楽学校入学は一郎さんの遺言でもあり、親子3世代にわたる悲願だったのだ。しかし昔から“東の東大、西の宝塚”と言われているほど、音楽学校への門は狭い。憂樹さんは、昨年も受験したが、落ちてしまった。落胆する愛娘のために、十和子が決断したのは、元星組男役トップスターの鳳蘭の経営するレビューアカデミーに入学させることだった。
「お義父さまと親しくされていた鳳蘭さんだったら、憂樹を厳しく指導してくださるのでは……」
 十和子は、そう考えたようだ。

 君島一郎さんの逝去から18年、ついに親子三代の悲願を叶え、義父の遺影の前に立つ、十和子の胸には“君島家の嫁としての務めを果たした”という誇らしい思いもこみ上げてきたことだろう。

関連カテゴリー:
関連タグ: