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《父上様はにわかに公用で上京、船旅も上々で京都へお帰りになられ何より嬉しいです。早く喜びのお手紙を出すべき所こんなに遅くなって申し訳ございません》

 

三井家の史料が保存されている三井文庫で眠っていたこの“姉”の書簡には、父親の無事を喜ぶ、嫁に出た娘の気持ちが込められていたーー。

 

幕末から明治、大正と時代を駆け抜けた女性実業家・広岡浅子。その類いまれな活躍をモデルに描いた、連続テレビ小説『あさが来た』(NHK)のファンが急増している。

 

ドラマでは主人公・あさ(波瑠・24)とともに姉のはつ(宮崎あおい・30)の人気が急上昇。その“姉妹愛”が新たな見どころになっている。冒頭の手紙の送り主は、はつのモデル、広岡浅子の姉の春だ。

 

春の人生に関しては、これまでは資料が乏しく、ドラマもほぼフィクションとして作られていると思われるが、専門家たちの証言をもとに“春の実像”をたどってみたい。

 

三井文庫所蔵の家系図によると、春と浅子の父・三井高益には、本妻との子どもが5人いたが、次々と夭折。“最後の子”を失った年に家督を継ぐ高喜を養子に迎えた。

 

春が生まれたのはその5年後の1846年で、浅子よりも2歳年上。春と浅子は、高益が2人の“側室”に生ませた異母兄弟だった。志學館大学教授の原口泉さんが言う。

 

「家系図では、春は《高益庶出の女 嘉永二年三月入家ス》とあるように、幼少期に、義兄・高喜に養子に出されています。しかし、こうしたことは、名家や大名家では珍しいことではありません」

 

当時は家の存続が最優先。跡取りとして養子をとるのは普通のことで、女子でも商家同士の結びつきを強めるために“政略結婚”をさせられた。

 

「春が実父のもとから、わざわざ義兄の高喜に養子に出されたのも、すべては“家”のためでしょう」(原口さん)

 

一方で、実父は浅子の母親を正妻のように扱い、浅子をことのほかかわいがった。ドラマの原案本『小説 土佐堀川』(潮出版社)著者の古川智映子さんは次のように語る。

 

「姉妹には複雑な家の事情があったので、ドラマで描かれているような“密な関係”ではなかったかもしれません。浅子は数々の自筆の原稿を残していますが、春について書かれたものは、見つかりませんでした。これは物語を書くうえでも大きな疑問でした」

 

もしかして、何も“語りたくない”と思うほど、姉妹は不仲だったのだろうか?わずかに残る姉妹の関係性がわかるエピソードは、1865年4月に姉妹が嫁入りするときのもの。春は19歳、浅子は17歳だった。

 

「浅子の嫁いだ加島屋(ドラマでは加野屋)と、春が嫁いだ天王寺屋(同・山王寺屋)は、ともに大阪の豪商。結婚が同時期であったため、三井家のある京都から一緒に船に乗って、高瀬川を川下りして大阪へ向かった、というものです」(古川さん)

 

この“政略結婚”について、浅子は晩年に出版した『一週一信』でこう嘆いている。

 

《何事も人に運命を作られて行く女の憐れな境遇を、一層痛切に感じました》

 

明治に入って間もなく、天王寺屋は歴史の表舞台から消える。春は明治5年1月21日、25歳という若さでこの世を去った。

 

「養子に出され、嫁いだ先は没落。間もなく早逝した春は、薄幸の人生だったと言えるかもしれません。ひたむきに古い習慣を守りつつ、家のために自分の人生を犠牲にした。その姿は、深く浅子の胸に刻まれたのではないでしょうか。だからこそ、浅子は“女性の自立”のために日本女子大学校を設立し、夫を亡くした女性のためにと大同生命保険の創業に尽力したのです」(原口さん)

 

姉のような優しい女性を救いたいと、浅子は鬼気迫る思いで事業に専念したのだろう。

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