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木村拓哉(47)主演のドラマ『BG~身辺警護人~』(テレビ朝日系)の第2弾が4月16日から放送になることが発表された。民間警備会社から独立した私設ボディガードとして、再始動していく物語になるという。ソロ歌手としての初ツアーも大成功。木村は完全に“新ステージ”に立ったことを印象づけた。

 

そんな木村を公私ともに“兄貴”と慕う後輩がいる。TOKIOの長瀬智也(41)だ。

 

「木村さんの2月のソロライブのときにも、長瀬さんはお祝いの花を出していました。2人の交流は長く、約30年におよびます。最初は一方的に長瀬さんが慕っていたんです」(音楽関係者)

 

長瀬は’91年にジャニーズ入りする前から、木村が出演する『SMAPの学園キッズ』(テレビ東京系)を見守る木村ファンだった。

 

「木村さんは合宿所時代から長瀬さんを“智也”と呼んでかわいがり、自分の聴いている音楽やバンドを薦めてきました。長瀬さんは憧れの存在である木村さんの一言一言に刺激を受けて“目標像”としてきました」(前出・音楽関係者)

 

長瀬はTOKIOとしてデビュー後、’94年から『紅白歌合戦』に24年連続出場している。

 

「木村さんと長瀬さんは、仕事ではほとんど共演する機会がありませんでした。ただ、長瀬さんは『紅白』に出場する際は必ずSMAPの楽屋に挨拶に行っていました」(テレビ局関係者)

 

また、2年前の西日本豪雨の後、2人は岡山県倉敷市の小学校を訪問して炊き出しを行っている。

 

「『Johnny’s Smile Up! Project』の発起人である木村さんの呼びかけに、長瀬さんが率先して手を挙げたんです」(前出・テレビ局関係者)

 

昨年2月、ラジオ番組『木村拓哉 Flow supported by GYAO!』に出演した長瀬は、木村について、

 

「僕の数少ない、カッコいいことを教えてくれる先輩だった」
「バンドを教えてもらって、僕にとっても、TOKIOとしても、すごく力になったような気がするんで。ありがたいなって思います」
「いちばん最初に背中を見たのは木村くんだったので、どこか木村くんみたいなお芝居ができないかなって思ってた」

 

と褒めっぱなし。木村の存在こそ、彼のジャニーズ人生に影響を与えるものだったと振り返った。

 

「2人はプライベートでも仲がよく、長瀬さんが釣りにハマったのは、木村さんに誘われ、河口湖へバス釣りに連れていってもらったからだと話していました」(前出・テレビ局関係者)

 

逆に木村がバイクにハマったのは長瀬から勧められたからだそう。

 

「もともと長瀬さんはビンテージバイクが大好きで、海外から輸入してきた部品で仲間らとバイクを組み立ててしまうほど。木村さんは一昨年、大型二輪の免許を取得しましたが、バイク購入にあたっては長瀬さんに相談したとか。ファッションについてもお互い最新情報を交換したり、2人は公私ともに信頼している仲なんです」(前出・テレビ局関係者)

 

長瀬は先日、一部週刊誌でジャニーズ事務所を来春に退所すると報じられた。その一因は、TOKIOとしての音楽活動が続けられなくなったからだというのだ。

 

「2年前に山口(達也)さんがTOKIOを脱退して、グループの音楽活動が休止状態になったことは、彼には大きなショックでした。長瀬さんの根底には“TOKIO=ロックバンド” という思いが強いんです。昨年はTOKIOのデビュー25周年で、ファンのために彼は自分で書いた楽曲を温めてきていたそうです。メンバーや事務所スタッフと話し合い、バンド活動再開への道を模索し、自分の“熱い思い”を訴えましたが、結論には至らず、今後の音楽活動は不透明なままです。周囲には“インディーズでも自分のやりたいことを突き詰めたい”と話しているそうです。今も仕事がないときは自宅のスタジオにこもりギターで曲を作り、パソコンで編曲。最近は改めてTOKIOの曲も聴いているそうです」(前出・音楽関係者)

 

昨年9月、城島茂(49)は自らの結婚会見で、TOKIOの音楽活動再開について聞かれ、リーダーとしてこう語った。

 

「うちの音楽プロデューサーは長瀬。いろいろ話すなかで、長瀬の中で絵は描けていると思う」

 

グループの音楽活動再開の目途は立っていると思われていたが、まだ難航しているようなのだ。 木村はそんな長瀬の苦悩をよく理解しているという。

 

「木村さんはジャニーズのなかでも長瀬さんが音楽に強いこだわりを持っていることを知っています。『25周年』という記念イベントができず、これまで支えてきてくれたファンの期待を裏切ってしまったその思いは、苦渋のSMAP解散を経験した木村さんも同じですから」(前出・音楽関係者)

 

グループとして音楽活動でもバラエティでも活躍し、ソロとしてもおのおのの得意分野を切り開いたSMAPを常に目標にしてきたのがTOKIOだった。

 

「あの木村さんでさえ人知れぬ努力を重ね、ここまで到達するのに並々ならぬ苦労がありました。 岐路に立たされている“弟分”の長瀬さんに、グループとしての音楽活動に固執せず、ソロとして“独り立ち”して好きな音楽を極める楽しさも話しているそうです。表現者として“いつも1人の覚悟”を持つことがいかに大事か、親身にアドバイスしているといいます。苦難の時期こそメンタルの強さが問われることは、SMAP解散後の木村さんが体感してきたことですから」(前出・音楽関係者)

 

一人の俳優として主演作が続き、ソロ歌手としてもツアーを成功させた木村の背中は、長瀬にはひときわまぶしく映っているはずだ。

 

「女性自身」2020年3月24・31日合併号 掲載

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