[E:note]ちびまるこちゃんがね。
山崎 ある意味、そうですね。九州の子だから。
だから、たまたまデビュー前の私が静岡にコンサートに来たということになっていて、まること08 知り合って、コンサートにまるこの知り合いが出るんですよ。それに私も出ていて。とにかく、まるちゃんと知り合って、私が切符かなんかを拾ってあげたりして、まるちゃんが私に「きれいなお姉さん」と憧れて。それで街角で青い顔していたら、まるちゃんが見つけて「お姉ちゃん、どうしたの!」と言って、友蔵おじいちゃんと一緒にいて。「このお姉ちゃんは命の恩人なんだ」とか、言って、友蔵おじいちゃんがおんぶして家まで帰るという。それで、本当に『ヨコハマ』を二階で歌ったんですよ。それで、お父さんとかが皆、「あんたは立派な歌手になるぞ~」とか言って感動しちゃって(笑)。だから、ちゃんとした歌なんです。ブロモビデオを作ってくれているようなもんです、その歌っているシーンだけ。
[E:note]アニメでもね。
山崎 うん。船とか実写で。長嶋さん以来の実写らしい。本当の横浜の船とか、歌をバックに実写なの。もうプロモビデオなの。もう、アニメに出られるのが夢でしたね。友蔵じいちゃんにおんぶしてもらうなんてもう、あり得ない!
[E:note]いま実写で言うと、モト冬樹さんとかね。
山崎 声優が青野武さんで、もう憧れのじゃないですか。「青野さんだ~」と言う。あとキートン山田さんとかね。それで「はこちゃん」と言う小説の話ですけど、映像ならまるこの実写の人がいいんだと思ったりして。でも、もうちょっと大きいかと思ったりしてね。子供時代はあの子がいいなとか、「まるこ」に出た子たちは皆いいなと思ったり。本当に純粋な田舎の子で、ばあちゃんといて、犬を一所懸命可愛がって、いまじいちゃんが死ぬシーンで本当に泣けます。泣けるというか、私のターニングポイントです。犬を長崎から連れてきたこと。それから、じいちゃんが死んだことで、犬が死んだこと。犬が死んで出てきたと言いましたが。親が横浜に出て来て、私は犬がいるから行かないと言って。親がいないのに、「いい、ばあちゃんと犬といるから」と言って九州にずっといて。ばあちゃんは、自分の娘が急に瀕死の重傷をおったので世話しに行かないといけなくなって、広い農家にひとりなの。もう犬とふたりなんですよ。ばあちゃんは看病に行って泊りがけだし、でも、ひとりで中学とか行っていた。それで卒業式の日に親は来たんだけど、「私は長崎から無理やりにあんたを引っ張って来たから、行かないから、あんたと一緒にいるから」と言って、笛とかハーモニカを吹くと、犬が「おお~」とかオオカミみたいに鳴いておかしいんですよ。そしたら、次の朝に、犬が死んでいたのよ。
「行かないよ、行かないからね」と言っていた、次の日に死んでいたんです。だから、どうしても行けと言うわけ? 何で命で私に言うわけ? と言って。それで犬が加勢してくれた。それで、しょうがないからこっちに来て、コンテストに出るかとかいって出たようなものですから。
[E:note]では、そのワンちゃんと過ごしてきたのは大切だったんですね。
山崎 そうですね。5歳からだから、10年間ですけど。親戚の血統書付のシェパードが雌で、野良犬のスピッツの子を生んだ。だから、おばちゃんがキレて、「捨てる!」と言うのを「嫌だ~」と言って。そこは長崎ですよ。それを大分県まで連れて来たの。その当時、汽車には乗せられなかったですけど。肌色でパッと見ると毛がスピッツみたいにふさふさしているけど、触ると、シェパードのように硬いの。そして雌犬だから、スピッツのように吠えるけど、シェパードのように声が低いの。本当に中間なの。
[E:note]本当に2分の1だったんだ。
山崎 大人になっても、きれいに肌色だった。それで、私が連れて来たのは1匹だったけど、雌だったから、さんざん生んだ。そしてもう10年だから、いい年だったんですよ。それでころっと死んだ。前の日まで歌っていて、何で死ぬかねというのでね。それで、自分で山に行って埋めてきました。もう長崎で泣きわめいて、おじさんがバイクで乗せて来てくれたんです。だから、親から離したから責任を感じてずっと育てた。
[E:note]名前は?
山崎 チビ。小説に出てきたけど、お雛様には菱餅を食べると言うけど、うちは貧しいから買えなくて。そして、私はばあちゃんにあんまりわがままも言わないいい子だったから、食パンを菱形に切って、ジャムは給食のを持って帰って、赤くして、ひとつはきなことかで黄色くして、ひとつは白にして、チビも女の子だからと一緒に食べた。チビはジャムのほうが大好きで。そしたら、ばあちゃんが、「あんた、何しようとね」「チビと菱餅を食べとる」と言うと、「ああ、可愛そうに、可愛そうに」って。
[E:note]それがまるちゃんの顔だったら、面白いねえ。ハコさんは子供のときに、まるちゃんのような顔だったんですか。
山崎 あんな感じです。この間もそうだったんですけど、早稲田の人がファンクラブとかしてくれて。あと悠里さんなどが、ハコを知っていただこうというので「歌姫活性計画」みたいなのを、文化人などで応援しようというのができつつあるんですね。早稲田の教授から始まって。だから、「もう隠れない」みたいな、おじさんたちのアイドルであるとか、私と同じ50代の女の人とか、もう1回若いころの音楽に帰りたいと思っている人とかね。それから、その娘たち。私の従兄弟の子供たちは20代なんだけど、ライブハウスとかに来るんですよ。落ち込んでいるという。「じゃあ、とにかくライブにおいで」と言って、『私が生まれた日』とかを歌って。「私のために歌ってくれたの?」と言うんですよ。「まあね」と言うと、「命というものをすごく言われている気がした」と言うから、「そうだよ」と言うと、「元気だよ」とか、またメールが来たりする。「また、ライブに行くからね」とか、「あの人は親と同じ世代だけど、何か一生懸命言っているぞ。説教ではなく、一生懸命生きているのを見るだけでも」と。そういうふうな子たちとかに来てほしいと思う。同じ時代を生きているということは、同じことを感じているんだ、じゃあ私らも、となって、年齢とかはもう関係ない。同じ空気を吸っているということをね。10年、5年ズレたら、もう合わないかもしれないと思うからね。いまを皆で感じましょうというね。

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