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乳房再建手術を終え、治療も一段落した昨年11月、タレントの生稲晃子さんは4年8カ月にわたる乳がん闘病を告白。そしてこの4月28日、生稲さんの48歳の誕生日には、つづっていた日記をもとに闘病記『右胸にありがとう そして さようなら』(光文社)を出版した。今回は生と死を深く見つめ続けてきた江原啓之さん(51)から、人生の後半戦をいかに生きていくかというヒントとメッセージを授けてもらった。

 

江原「生稲さんの場合、著書を拝見していると、2度再発されて、いつもこれでもう治ると思っていたらまた、という意地悪をされているかのような気持ちになってしまいますよね」

 

生稲「本当に。私、何か悪いことをしたのだろうか。バチが当たっているんだろうかと、そればかり考えていた時期もありました。告知された瞬間は、自分のことしか考えられなかったですね。あとで親として、まず子どものことを考えるべきだったと反省しましたが」

 

江原「そういったストレスって本当につらいですよね。ただ忘れてはならないのは、人は誰しも、はたから見えないだけでなんらかの課題を抱えて生きているということ。病気だとしても、とりわけ『なぜ?自分だけ』と悲観してしまいますが。生まれたときから両親と生活できず施設で育ったり、事故に遭遇したり、人それぞれさまざまなことを背負っています。そして、人生のマイナスは、必ずマイナスだけではないということ。病気も災いも何も経験せずに生きてきたなら、この世の中に優しさはないと思うんです。経験と感動があってこそ人生の意味があるということですよ」

 

生稲「最初は『なぜ?』しかなくて、答えなんか見つからなくて、それで自分を苦しめていたんです。『なぜなのか?』と自問自答をしながら、人生を振り返る時期でしたね」

 

江原「人は、つまずくような経験がないと、自分の人生を振り返ることをしないんです。ある程度生きてきたら、人間、一度は立ち止まらなければならない。なので、病気がくれたプレゼントですね」

 

生稲「それがいまだったということですね」

 

江原「そうですね。ただただ明るい調子でだけ生きていくことってありえないですよ。でも女性にとって乳房を失うのは、つらいことですよね。ごめんなさい、これはお伝えするのが難しいことですが、乳がんになる女性は、母性の学びが強い方が多いんです。そして乳がんを乗り越えた後は、肝っ玉母さんみたいに強くなる方が多いんですね。それまでは内向的に繊細で、『なぜ私は』ともがき悩む人が多い。けれど、病気の後は、以前より人の目を意識せず、自分の幸せは自分の中にあると腹をくくるようになるんです」

 

生稲「まさに、おっしゃるとおりです。私は人との関係に悩むことが多かったですから」

 

江原「いまになって、ようやく巣立ちが始まっているんですよ」

 

生稲「そうなんですよ。自分に素直に生きようって思えるようになりました」

 

江原「私が先ほどよかったなと思ったのは、病気になってお子さんのことを考えないで、自分のことをまず考えてしまって反省した、とおっしゃったこと。ようやく原点に返れたんじゃないですか?」

 

生稲「そうかもしれません」

 

江原「お子さんに対して冷たいということにはならない。がんになってまで即座に子どものことを考えるっていうのは、望まれたことを言っているような気がしますよ」

 

生稲「よかったんですね。『娘のことを考えました』って言わなくて。『どこまで自分をよく見せたいんだ』という感じですよね(笑)」

 

江原「いずれお子さんは巣立つから、そのほうがいいですよ。だから著書のタイトルも『ありがとう』なんでしょう」

 

生稲「胸に向かって『ありがとう』は変とは思うんですが」

 

江原「そういう方多いですよ。女性にとって乳房は自分の一部で、私の友人もそうでしたが、切除手術の前の日はずっと『ありがとう』って声をかけていたということです」

 

生稲「共に生きてきた感があって、最後まで触っていました」

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