山田邦子「1つの石でどう遊ぶか。『ひょうきん族』はそんな番組」

「タモリさんには、酔っぱらっておんぶしてもらったこともあるし、宇津井健さんに靴を買ってもらったり。たけしさんにもどれほどごちそうになったことか。そのときに自分も将来後輩にごちそうするようにしますって誓ったんです」

 

今年で芸能生活40周年を迎えた山田邦子(58)。ゴールデンタイムで冠番組を持った唯一の女性ピン芸人であり、NHK「好きなタレント調査」では8年連続第1位。’80年代から’90年代にかけてレギュラー番組を数多く抱え、多忙を極めていた。

 

『オレたちひょうきん族』では、薬師丸ひろ子、島倉千代子などのモノマネを披露、担当コーナー「ひょうきん絵かき歌」も大人気に。

 

「台本を開くと“など”と書いてあるだけだったりするのはしょっちゅう。たけしさんが昨日はこんなことがあった、なんてしゃべると、それが面白いから、じゃあそれやろうって。するともう本場です。たけしさん、さんまさんらがいて、みんなで手さぐりだけど勢いがすごくありました」

 

当時の芸人たちのパワーは半端なかった。触ると感電するようなすごい現場で、毎日激しく泣いたり笑ったりしていたが、楽しくて充実していたという。

 

「バブル当時は本当に華やかで番組のセットもそれは素晴らしかったですよ。『ひょうきん族』はそれを毎回壊していましたよね。プールの中に鶴ちゃん(片岡鶴太郎・64)が重りを付けられて、助けて~って沈んでいく。この人、死ぬなって思ったこと何回もありますよ(笑)。今みたいにCGなんてないから、皆元気で丈夫でした。すべて肉体でやったんですから。『ただいま!』ってドアを開けると、家全体がトランポリン。そこで熱湯のお茶を注ぐなんてコントもありました。とにかく元気でした」

 

売れる女性芸人の条件は? と聞くと、「図々しいこと」と答える山田だが、次のエピソードのように“真剣にふざけること”も当てはまるだろう。

 

「私も何回か笑いながら、危険! 死ぬかもって思ったことがあります。衣装さんも本気なので舞子さんのコントをやったときに、衣装の裾を膨らますために、本物のようにちゃんと綿が入っているんです。『月様、雨が!』と私が言うと、『ブスはいらない!』と川に落とされる。綿が水を吸って立ち上がれなくなって、ぽっくり下駄も脱げないし。あのときは本当に溺れるかと思いましたね。皆でアイデアを出し合って、真剣にふざけていました。アーチストもディレクターも照明さんもカメラさんも、支えるマネージャーもみんなでね」

 

そうして『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』(フジテレビ系)、『山田邦子のしあわせにしてよ』(TBS系)、『邦子がタッチ』(テレビ朝日系)など、冠番組を数多く持ち、女性ピン芸人の先駆者としてトップを極める。

 

「大橋巨泉さんのような冠番組を目標に頑張っていたんです。うれしかったですね。番組の企画を毎回考えるのも楽しかった」

 

NHK「好きなタレント調査」で8年連続第1位になると周りの目も変わった。

 

「上位に上がってくると皆の扱いがよくなってきました。ギャラが上がったり、銀行に行くとお菓子が出てきたり(笑)」

 

デビューして40年、ドラマ、映画、ミュージカル、司会など、あらゆる仕事をこなしてきた。

 

「私はピン芸が職業だから、最初はドラマや映画の仕事が嫌でした。今はそうした作品が残っていることを勲章のように思いますけどね。気づいたら何でもできるようになっていた。歌もまあだいたい平均点くらい歌えるようになって持ち歌もたくさんあるし、モノマネやイベントも。生放送の仕切りも何か突発的なことがあってもへこたれないですね」

 

最近のお笑い界は昔とはだいぶ変わってきたという。

 

「これは芸能界だけではないけど、教育でもなんでもシステム化しましたよね。昔は創意工夫というものがあって。りんごがひとつあったら、それだけでネタを作るという時代だったけど、今はググればりんごの情報はたくさん出てくる。便利だとは思うけど、考えなくなっちゃいましたよね。昔の子どもは石が1個あったら、どうやって遊ぼうかって。『ひょうきん族』ってそういうところがあったんです。今は、“こういうのが面白いからやってください”と言われるのよね。すべて台本どおりで面白いのかなあって。“(爆笑)”って台本に書いてあるんだもん。本当にこれ面白い? って何回も聞いちゃう」