17歳で前座になったころの林家きく姫さん 画像を見る

住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、みんなで回し読みした漫画の話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。

 

「幼いころからアニメや漫画が大好き。アニメは主題歌の歌詞を、ノートに書き写したりして歌っていました。漫画雑誌は、付録も魅力でよく買ってもらっていたんですよね。紙を切り抜いて組み立てるカセットテープケースや、全員がもらえるキャラクターが描かれたポシェットに応募したりしました。4〜5年前、『弥生美術館』(東京都文京区)に寄贈したほど、当時の付録は大事に持っていました」

 

こう幼少期を振り返るのは、落語家の林家きく姫さん(51)。夢中になった作品は、数知れない。

 

「美内すずえ先生のホラー作品『妖鬼妃伝』(’81年)は、終電後に走る謎の地下鉄に乗ってたどり着いた異世界にまつわる話。現実に地下鉄に乗ったとき、路線の奥に続く暗闇を見て、“どこかに迷い込んでしまうんじゃないか”と怖くなったりしました。庄司陽子先生、里中満智子先生、池田理代子先生の作品もよく読みました。漫画家の先生のことを、小学生当時から“先生”と呼んで尊敬していました」

 

同時期の漫画の中では、『パタリロ!』も忘れられない作品だったという。架空の島国であるマリネラの国王・パタリロが繰り広げるギャグ漫画だがーー。

 

「ときにイギリスの敏腕諜報部員のバンコランとともに悪者と戦うスパイアクションも、見応えがありました。とにかく“パタリロ”という名前がユニークでインパクトがあるし、見た目のかわいさ、柔らかさも好き。ギャグのシーンと、シリアスなシーンではパタリロの顔がガラリと変わる。そのギャップも面白さのひとつでした」

 

漫画、アニメにのめり込んだきく姫さんだが、中学卒業後、それらを楽しむ心の余裕がなくなってしまったという。

 

林家きく姫 師匠・林家木久扇に見いだす『パタリロ!』っぽさ
画像を見る 林家きく姫さんが高校生のころ、自宅の部屋で撮った写真。壁に手書きの原宿マップやブルース・スプリングスティーンのピンナップを貼っていたそう

 

「ミュージシャンの友人もいた(9歳の時に亡くなった)母の影響もあって、ジャズのアルトサックスプレーヤーになりたいって思って音楽高校に進学したんです。でも、私は基礎ができていなかったし、周囲の競争意識の高さにもついていけず、1年で中退してしまいました」

 

何もやることがない日々を送って精神的にも暗い気持ちになっていたとき、父親が勧めてくれたのが落語の世界。

 

「それまでは落語をちゃんと聴いたことがなかったし、何も知らなかった私ですが、でも『笑点』(’66年〜・日本テレビ系)は大好きで、毎週見ていたんです。とくに師匠(林家木久扇、当時は林家木久蔵)のことは親子そろって好きだったので、父から『木久蔵さんのところに行きなさい』と」

 

突拍子もない言葉に、普通なら聞き流してしまいそうなものだが、木久扇師匠に、大好きなパタリロのような親近感を感じたのかもしれない。

 

「少しジャズを勉強していたことで、師匠の歌う『いやんばか〜ん』(’78年)が、セントルイス・ブルースというジャズのスタンダードが原曲だったことがわかり、“すごい”って思って。師匠はギャグもダジャレも面白いし、カッコつけないところも素敵だけど、決めるときは決める。しかも黄色ーー。あ、パタリロみたいですね(笑)」

 

16歳のとき、オーディション雑誌の編集部に電話をして木久扇師匠の住所を教えてもらい、アポなし訪問をした。

 

「たまたま事務所のスタッフさんは出払っていたのですが、ドアの向こうから『いませんよ〜』と、笑点でいつも聞くあの声がして……。直接『弟子入りさせてください!』ってお願いしたんです」

 

まだ女性落語家の少なかった時代であったが、木久扇師匠は受け入れてくれたのだ。

 

「落語は、お客さんと噺家がともに空気を作り上げて楽しむもの。話の世界を想像してもらえるように、強弱をつけたり、見せ場を作ったりするのですが、幼いころから漫画の場面展開、カット割りなどに親しんできたことは、落語にすごく生きていると思います。なによりパタリロには、人生は真面目に過ごすばかりでなく、ときには笑い飛ばすくらいの余裕も必要なんだって教えられました」

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