「会長の愛人では?」と揶揄も…石井明美語る爆速デビューの裏側
画像を見る 笑顔を見せる中森明菜さん

 

■所属後4ヵ月での爆速デビューの理由

 

そんなある日、週に1度は顔を見せる、中森明菜が所属する大手事務所のスタッフから、「そろそろどうだ」と改めて誘われたという。

 

「かなり熱心でしたし、そのころはすっかり信頼関係もできていたので、お受けしました。『1曲でやめていい』『キャンペーンなどはしない』という条件で(笑)」

 

スナックを辞め、事務所に所属したのが’86年4月。すぐにボイストレーニングを始めると、6月にはレコーディングと、とんとん拍子で決まっていった。

 

「7月に始まる『男女7人夏物語』に合わせ、8月にレコードを出すことになりました」

 

所属後わずか4カ月のデビューのため、「会長の愛人なのでは」などと揶揄する人もいたようだが、実情はまったく違う。

 

「芸人さん(明石家さんま)が主役という新しいタイプのドラマの主題歌で、しかも海外の曲のカバー。ほかの所属タレントに挑戦させ、失敗させるわけにはいかないということで、私に白羽の矢が立ったのかもしれません(笑)」

 

ところがドラマは高視聴率をマークし、石井さんのデビュー曲も大ヒットすることに。

 

「ドラマでは毎回、ラストの盛り上がるシーンに差し掛かると私の曲が流れ始めるという、当時としては画期的な演出だったので、見る人にとって印象的で、インパクトも大きかったのでしょうね」

 

歌手として大きく成長する機会を得られたのも、中森明菜という先輩がいたからこそ。

 

「私のデビュー前後、明菜さんはちょうど『ライト&シェード』ツアー中で、勉強のために、埼玉のコンサートホールで、明菜さんの“ゲネプロのゲネプロ”を私が担当することになったんです。ファンタスティックスという明菜さんのバンドの生演奏で、ライブ本番と同じセットと照明のなか、舞台に立って歌わせてもらった経験は、歌手としての私の血となり骨となりました」

 

『DESIRE-情熱-』は明菜にとっても、’86年の「日本レコード大賞」に輝いた特別な曲。

 

「同じ年に私も最優秀新人賞にノミネートされたので、会場で明菜さんにご挨拶することができたんです。明菜さんは私の曲を『よく口ずさんでいるの。いい曲ね』と褒めてくださいました。それなのに私は、ものすごく緊張してしまっていて、何と返事したのかさえ覚えていなくて……。でも、“タダの人”だった私が、大賞を受賞する明菜さんと同じ舞台に立てたなんて、やっぱり’80年代は、夢のようなチャンスに恵まれた時代だったんですね」

 

【PROFILE】

石井明美

’65年、千葉県生まれ。’86年、デビュー曲であるドラマ『男女7人夏物語』の主題歌『CHA-CHA-CHA』がオリコン年間シングルチャート1位を獲得。現在は音楽番組、バラエティ、カラオケ特番、ラジオなどにゲスト出演し、幅広く芸能活動を行っている

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